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No.114 広域を移動するシカ

2012年04月発行

広域を移動するシカ

 

濱崎 伸一郎(WMO)

 

 

ニホンジカCervus nippon(以下、シカと称す)の分布拡大と生息密度の上昇による農林業被害の増加に依然として収束の兆候が見られないなか、高山・亜高山帯など非常に自然度の高い地域における自然植生への影響が拡大している。知床半島、屋久島といった世界自然遺産指定地域をはじめ、尾瀬、日光連山、関東山地、南アルプス、剣山、霧島山地など我が国の著名な山岳地帯を含む国立・国定公園指定地域など、その影響は全国的な広がりを見せている。また、これまでシカが分布しないといわれていた北アルプス山麓でも近年になって生息が確認され、森林生態系への影響が危惧されている。

シカの自然植生に対する影響への対策の一つとして、各地で植生保護柵の設置が進められ、希少植物の回復など一応の効果が得られている。しかし、急峻な地形と冬季の厳しい気象条件により、効果の持続には多くの課題が立ちはだかっている。

一方、問題となっている地域に生息している個体を効果的に捕獲する取り組みも始まっている。くくりワナによる捕獲、誘引餌を用いた捕獲柵やシャープシューティング(給餌により近距離に誘引して全個体を狙撃する方法)など、地域の特性に合わせたさまざまな取り組みが行われているが、現時点ではいずれも試行的な段階といわざるを得ない。

捕獲手法の検討と合わせて各地で取り組まれているのがシカの行動調査である。いつ、どこで、どのような方法で捕獲するのが効果的か、また実現性はあるかなど、適切な捕獲計画の検討には、シカの行動を把握することが欠かせない。調査には、GPS(Global Positioning System,全地球測位システム)受信機能を持ついわゆるGPS首輪(写真1)の利用が一般的となっており、WMOでも、受託している数多くの事業でGPS首輪の装着によるシカの行動特性調査を行っている。八ヶ岳、南アルプス、そして富士山など名峰に囲まれた山梨県もその一つで、この数年間の調査で、各山域のシカの管理に有用な新たな知見が得られている。本稿では、これまでの調査結果からシカの広域移動の例を紹介したい。

 

 

 

南アルプスにおける季節移動

南アルプス(赤石山脈)は、山梨県、長野県および静岡県にまたがる広大な山脈で、我が国第二峰の北岳(標高3,193m)をはじめ、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、間ノ岳、塩見岳、荒川岳(悪沢岳)、聖岳、光岳など日本百名山に選定されている名峰が連なり、氷河の痕跡であるカール地形(圏谷)も仙丈ヶ岳や荒川岳などに見られる。全般的に植生は豊かで、北岳周辺、仙丈ヶ岳、荒川中岳などに大規模な高山植物の“お花畑”があり、登山者の目を楽しませてきた。ただ、シカの採食圧の影響が特に顕著なのもこの“お花畑”であり、この10~20年の間にその姿に大きな変化が生じていることが報告されている。

南アルプスで最初にシカの行動追跡を手がけたのは、もとWMOの職員でもあった信州大学の泉山茂之教授である。南アルプス北部の北沢峠を中心にシカを捕獲して電波発信機とGPS首輪を装着し、北沢峠周辺のシカが冬季になると低標高部に移動すること、移動先が複数あること、かなり広域の移動をする個体が存在することなどを明らかにした。その後、我々が関わった山梨県や環境省の事業でも、南アルプス北部の野呂川流域や北岳周辺でシカにGPS首輪を装着して行動を追跡したが、泉山教授らの結果と同様に、様々な移動パターンがあること、単純な垂直移動(夏季の生息地直下の低標高部への移動)だけではなく広域の移動が見られることを確認できた(図1)。夏季の生息地と越冬地間の距離は、直線距離で20km以上に及ぶ個体(図1のY10-1)もおり、オスだけでなくメスにおいても山塊をまたいだ長距離の移動が確認された(K09-2)。

いろいろな移動パターンがあるため、捕獲戦略を絞り込むことが困難であるとの意見もあるが、同地域におけるこれまでの追跡調査の結果や冬季のシカのトレース(足跡)調査などの結果を総合すると、野呂川・早川流域、三峰川流域、甲斐駒山脈(鋸岳~甲斐駒ヶ岳~鳳凰三山)の東側山域が越冬地として重要な地域と考えられる。これらの地域で冬季に効果的な捕獲ができれば、高標高域に移動するシカの個体数を抑制することが期待できる。また、移動時期と経路を絞り込むことにより、移動期における捕獲も効果を見込むことができる。
 

八ヶ岳連峰におけるシカの移動

八ヶ岳連峰は、山梨県と長野県にまたがる山塊である。夏沢峠を境に北八ヶ岳と南八ヶ岳に区分され、北八ヶ岳には天狗岳(標高2,646m)、根石岳、蓼科山、北横岳などがあり、南八ヶ岳には最高峰の赤岳(標高2,899m)をはじめ、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳などがある。八ヶ岳南麓(山梨県側)には、広大な県営牧場が存在し、冬季には非常に多くのシカが周辺を利用していることが1990年代から確認されていた。また、八ヶ岳南麓にはカラマツやウラジロモミなどの植林地があるが、かなり以前からシカによる樹皮剥ぎが問題となっており、現在ではシートによる被覆対策が行われている。また、近年は南アルプスと同様に高標高域にシカが進出し、高山植物などへの採食圧が顕著となっている。

山梨県では、当地域におけるシカの個体数調整を重点的に実施しているが、個体数を抑制するには至っていないため、効果的な捕獲手法の開発を目的として、一昨年度からGPS首輪によるシカの行動追跡調査を開始した。八ヶ岳南麓の牧場周辺で比較的定着性が強いと考えられたメスを冬季に捕獲して追跡しているが、追跡対象としたメス3頭はすべて北八ヶ岳あるいは高標高部(いずれも長野県)に移動した(図2)。移動距離は最も長い個体で約22kmに及び(図2のY1002)、移動にかける時間も1日~6日と非常に短期間であったことも特筆すべき点であろう。

また、3頭のうち1頭(Y1003)は、ほぼ1年間にわたって追跡することができ、11月のはじめには捕獲地周辺に回帰したことを確認した。回帰時の移動時間も3日間と非常に短かったが、移動速度もさることながら、移動経路が往復でほぼ一致している(図3)ことも驚きである。どのようにしてこのような行動様式を獲得するのか、その理由は現在のところ不明であるが、興味の尽きない点である。

 

季節移動のタイミング

表1に南アルプスと八ヶ岳における追跡個体の移動時期を示した。越冬地から夏季の生息地への移動は3月下旬から6月下旬、夏季の生息地から越冬地への移動は10月上旬から1月上旬と個体によってかなりばらつきがある。生息地の餌環境、積雪期間など環境の違いが移動のタイミングに影響していると考えられるが、八ヶ岳では、同一地域で捕獲したメスの移動時期にもずれがあることから、個体によって行動特性の獲得様式が異なることも示唆される。母系集団ごとにそれぞれの特有の行動様式を有しているのではないかと考えられるが、このことを明らかにするには、同一個体の複数年にわたる追跡や遺伝学的分析など今後のさらなる研究の進展が望まれる。
 

広域管理の必要性

これまでの調査により、南アルプス、八ヶ岳のいずれでも県境をまたがる広域の移動が確認された。これまでも、野生動物には行政界は関係なく、隣接都府県が連携した“広域管理”の必要性が指摘されてきたが、比較的定着性が高いと考えられてきた本州以南のシカにおいても“広域管理”の重要性を裏付ける結果が蓄積されつつある。南アルプス、八ヶ岳の事例以外にも、関東山地、富士山、福井県、滋賀県、京都府などで県境を超える広域の移動が確認されており、いずれもGPS首輪による追跡の成果である。また、移動先の詳細な地点のみならず、移動の時期、移動経路も詳細に把握できることから、これらの成果を“広域管理”における捕獲計画に活かしていくことが、シカ問題を解決する有効な手段であることは間違いない。

 

我が国の大型哺乳類のなかで、シカは最も研究が進んでいる種といえるが、その行動にはまだ未解明な部分も多い。今後の研究の進展によって、新たな側面が明らかにされていくだろう。

 

<引用文献>

中部森林管理局中信森林管理署.2012.平成23年度北アルプス山麓におけるニホンジカ生息調査事業報告書.133pp.

環境省.2010.平成21年度南アルプス国立公園ニホンジカ対策検討業務報告書.178pp.

環境省.2011.平成22年度南アルプス国立公園ニホンジカ対策計画(北岳地域)策定業務報告書.57pp.

環境省.2011.平成22年度南アルプス国立公園ニホンジカ対策検討業務報告書.232pp.

山梨県.2011.平成22年度地域生物多様性保全実証事業(山梨県ニホンジカ個体数調整)委託業務報告書.39pp.

(株)野生動物保護管理事務所,山梨県.2009.平成20年度ニホンジカ生息等モニタリング調査報告書.70pp.

(株)野生動物保護管理事務所,山梨県.2010.平成21年度ニホンジカ生息等モニタリング調査報告書.68pp.

(株)野生動物保護管理事務所,山梨県.2011.平成22年度ニホンジカ生息等モニタリング調査報告書.79pp.

(株)野生動物保護管理事務所.2012.平成23年度ニホンジカ個体数調整実証事業委託業務報告書.53pp.

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