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No.89 『人慣れグマ』との正しい「付き合いかた」とは?

2006年01月発行
『人慣れグマ』との正しい「付き合いかた」とは?
―クマの夏2005―

泉山 茂之(WMO)


毎年、夏は休む間もなくクマと向き合う日々が続く。北アルプス南部の上高地周辺では、ホテルや山小屋でのゴミ管理が行き届くようになり、生ゴミに餌付いて問題を起こすクマはほとんどいなくなった。

ところが、2002年頃から、遊歩道の周辺で日中からふらふら徘徊する仔グマが話題になり始めた。親グマから離れて間もない仔グマが連日目撃され、観光客からは携帯シャッターの嵐で、人気の的だったそうだ。

確かに、仔グマはかわいいかも知れない。このような場面には、見ようとして行き会える訳もなく、時折話しに聞くのみであった。しかし、ずっと私の心には、見えない小さな棘のような何かが引っかかっていた。仔グマは必ず成長して大きくなるのだから。

2005年のシーズンになり、上高地各地でクマが日中から目撃され、インフォメーションセンターや管理官事務所に登山者からの通報が相次いだ。写真を撮った登山者が、新聞社に写真を持ち込み、記事にもなった。

そして、バスターミナルから1時間半ほど行ったT地区のK社長からは、連日電話がかかってくるようになった。

「周辺でクマがうろうろして、登山者が怖がっている、どうにかしてくれないだろうか」。「わかりました、明日朝一で上がります」。

このころから、朝4時前に山麓の塩尻の家を出ての、私の「上高地通い」が続くことになった。上高地には、朝一のバスは5時に着く。一番早い登山者は6時過ぎにはT地区に到着する。クマは、登山道の周辺に生えた新緑の草本を食べに来ている。もしクマが登山道の周囲にいたら、登山者が通過する時間前に、私は登山道から「追い払う」つもりだった。

5日目、ようやくクマに出会った。60kg前後の若いクマだろうか、クマは登山道から5mほどの林内にいたが、私が近付くとさっと逃げた。さらに私が林内に入って近付いてゆくと、クマは血相を変えて逃げていった。持っていった花火は必要なかった。このクマは、登山道は人が通るが、林内には人は来ないことを知っているクマと思われた。

この後、このクマと思われる個体の周辺での出没はなくなった。

K社長には、「あのクマは、人のことを良く知っているクマだから大丈夫ですよ、一回追っ払った後は、どっかいっちゃいましたよ」。「ほんとにー」、とK社長。「人を見たら逃げるクマだから大丈夫ですよ」。「でも、・・・・・」と、不安そうなK社長。

しかし、ほっとする間もなく、何度も電話が鳴った。今度は、登山道上にクマがいて、登山者が通れないのだという。ニリンソウの開花期になり、せっかくやってきた登山者も引き返してしまう、というのである。

また、朝4時起きの上高地通いが始まった。

3日目、T地区から3kmほど下流で1頭のクマに出会った。前のクマとは明らかに別個体で、小さく50kg前後だが、私に対する反応は全く違っていた。このクマのヒトへの反応を確かめるために、私はゆっくりクマに接近した。

8m程でクマは私を凝視し、口を大きく開けてあくびをする。白く大きな犬歯が印象的だ。そして首を揺らす。さらに近付くと、近くの枝をバキッと折り、立ち上がり体を揺らした。クマが立ち去る気配はない。かれは私を威嚇している。私は後ずさりして、考えをまとめなくてはならなくった。登山者に対しても、このクマは私に対してと同じ行動をとることだろう。あと、1時間もすると多数の登山者がここを通過することになる。しかし、登山者はこのクマが登山道上にいたなら、恐怖のあまり間違いなく引き返すことだろう。私は、このクマを捕獲して、他の場所に移すことを決めた。

クマを眠らせ、背負子にくくりつけたとき、早起きの登山者が数名通過した。登山者には事情を話し、K社長に急いで軽トラで迎えに来るように、伝言を頼んだ。クマは重たく、紐がほどけて2回背負子から落としてしまった。軽トラが通れるほどの広い登山道だが、災害で崩れたので3kmの道のりを背負うことになり、冷え込んだ朝だったが汗だくになった。このクマは、2,500mの稜線の反対側まで、1時間半かけ車で運んで、耳票を付けて学習放獣した。放獣場所は、ここのクマたちが知っていると思われる場所にした。いきなり未知の場所に持って行くのは忍びなかった。

この後、周辺での日中のクマの徘徊はしばらくなくなった。

しかし、休む間もなくT地区以外でも、田代湿原やバスターミナル周辺でも日中のクマの目撃が相次いだ。梅雨の土砂災害で、国道が通行止めになり大きく迂回しなくてはならなくなり、私の出発は朝3時半に早まった。夏のシーズンの期間中、遊歩道沿いにクマがうろうろしている間は、公園財団のスタッフや私がクマと人間との間に入り、観光客の誘導を行なった。

私の背中5mに60kgのクマがいて、遊歩道の家族連れの観光客に、「早く通り過ぎてください」、と冷や汗をかきながら言うのだ。このような個体について、2005年のシーズン中、合計4頭のクマを移動させた。いずれも若いオスだった。移動して放獣したクマのうち、3頭が約1ヶ月後に上高地まで戻った。このうちの2頭は、人を見るとさっと逃げるようになった。1頭は再度捕獲して別の場所に移動して再放獣した。再放獣した個体は、シーズン中には戻ってこなかった。再放獣地点はこのクマが知らない場所だったようだ。

例年にない寒い冬を越し、このクマたちは成長して、さらに身体も大きくなり、今年もまた食物を求めてやってくることだろう。

上高地は、国立公園特別保護地区、国設鳥獣保護区、特別名称、特別天然記念物である。ずっと昔から、上高地はクマの住処である。観光客が行き交う湿原の木道や登山道の脇に、クマたちが草を踏み固めた道がそこここに確認するのは、日常茶飯事であった。しかし、白昼からクマたちが堂々と歩いていることはほとんどなかった。日中にクマがちらほら目撃されるようになったのは10年ほど前からである。ここのクマたちは、日本一の幸せが約束されているはずである。私がクマを捕獲して移動したことについて、「クマをこれほど厳重に保護してる場所で、なぜそんなことをするの?」という指摘をたびたび受けた。私は、この指摘の通りと思うし、そうあって欲しいと思う。餌を介さないクマとヒトとの関係は理想的のようにも思える。しかし、「50-60kgのクマと観光客を一緒にしておくことはできますか?」と、逆に聞き直すと、私を納得させる返答はなかった。

クマたちは、ただ水辺の草本や、河原の石の下のアリを食べたいだけで、悪意があるのではない。狭い国土で、北アルプス山中のここでゆっくり過ごせないなら、クマの安心して棲める大地は日本にはない。クマたちは、ただ採食に夢中なだけで、人の存在は脅威ではないのだ。生ゴミを介した歪んだ関係ではなく、クマたちもいきいきしている。ほんとうなら、このままにしておくことができるなら、そうしたいと心から想う。180万人の観光客が押し世せる今の上高地でも、クマたちが生きていてほしいと願っている。

北アルプスでゴミ対策がうまくいったのは、個人経営者が多く、生ゴミ始末がしっかりできてなくて「クマが来ると観光客が来なくなる」、という強迫観念があったことは否めない。その証拠に、不特定多数の観光客がゴミを捨て、無責任な行政機関しかない有名別荘地では、未だにゴミグマがいなくなることはない。クマがうろちょろしているような危険なところなんかには行けないと、多くの観光客は考えることだろう。また、現在の観光業に携わる多くの人々にとっては、クマはマイナスイメージにしか捉えられないようだ。でも、私は何度も何度も繰り返し言うしかない。

「クマがいるほど自然が豊かだから、お客さんがたくさん来るんだでね・・・」

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