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No.92 秋の山、クマの暮らしを垣間みた

2006年10月発行
秋の山、クマの暮らしを垣間みた

瀧井 暁子(WMO)

 

 フィールドノートの原稿の締切りがとうに過ぎてしまった(編集者さん、ごめんなさい)。その頃、私はY県境付近の山の中でシカの糞塊調査を行っていた。

この調査は、単独で山の尾根を5~6km歩きながらシカの糞を記録するものである。登山道もあれば、道のまったくない尾根もある。調査範囲は、標高約900~2000mであり、スギ・ヒノキ・カラマツなどの植林地のほか、標高1600m付近まではブナ・ミズナラ林が多く、標高1600m以上は、主にコメツガ林となっている。今年は実施2年目、ルートの大半は昨年も歩いていたので、ある程度ルートの状況、シカの出没状況を予測でき、比較的安心して歩けるかと思った。ところが、今年はクマの痕跡の多さに驚かされてしまった。

ある尾根のできごと。ヒノキの植林地をすぎると、あたり一面ミズナラ林となった。なかなか見事な林であったが、地面には無数の枝が落ちていた。よくみると、見渡す限りに大小さまざまなミズナラの枝が落ちている。上を見上げると、クマ棚(円座)がいくつも見える。もう一度下をみると、クマの糞、新しいものから古いものまで、クマ糞のデパートのようにある。このような状況がなんと標高差200mくらいの範囲でずっと続いていた。私は、これほど壮大なクマの生活痕跡を見たことはかつてなかったので、本当に驚いた。ミズナラの落枝には、それがクマの落としたものとはっきりわかる、噛み跡が折れた付け根に残されていた。まさに、「秋の山、クマの暮らしを垣間みた」瞬間であった。何頭のクマが、どれくらいの期間、この尾根でミズナラをひたすら食べ続けていたのだろう・・・。

普段、山を歩いていてクマの痕跡をこれほどまでに確認することはない。クマによる樹皮剥ぎがあったり、糞をみかけたり、たまに足跡をみたり・・・。それだけに、今回出会った光景は特に印象的だった。

さて、このような尾根の状況は、隣の別の尾根を歩いていたときにも見た。また、他の調査員も似たような状況に出会ったそうだ。しかし、これほどの範囲で続いているクマの痕跡はあまりなかったようである。また、昨年同じ尾根を歩いている調査員によると、昨年はクマの痕跡はほとんどみかけなかったそうである。

なぜ今年、クマの痕跡がこれほどまでに多かったのだろう?

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この疑問について答えるような論文が過去にあった。舞台は、岐阜県白川村。岐阜大クマ研では、クマの糞分析、クマ棚調査、ブナとミズナラの落下量を測定した結果、クマはブナの豊作年にはブナ種子に、ブナ不作年にはミズナラとクリの種子に食物を大きく依存していたことを明らかにした(溝口ら 1996)。クマ棚は、ブナ不作年にミズナラやクリに多数発見されたが、ブナ豊作年にはほとんど発見できなかった。これに対し、ブナの木のクマ棚は豊凶にかかわらず5ヵ年の調査で1本しか形成されていなかったそうである。この調査地に占めるブナ林の割合はミズナラ林の約4倍ある。したがって、ブナが不作でミズナラ林を多く利用する年は、クマのみかけの密度が増加する可能性があることを指摘している。
ブナの種子は年による豊凶の差が著しく、同調範囲も広範囲であることが知られている。

論文には、「ミズナラ種子は、不昨年においても、局所的には豊作年に匹敵する密度が落下する場所が存在した」とあり、ミズナラは結実の同調範囲が狭く、同一林分内でも結実状況の個体差が大きいそうである。

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クマに折られたミズナラの枝が見渡す限り・・・。

ミズナラの梢に形成されたクマ棚。

ミズナラに残された爪跡。
大きいクマかもしれない。

ドングリをたべたクマの糞。

今年見たクマ棚の風景も、ブナの豊凶と大きく関係しているのではないかと思った。

今回の調査地もブナ林が多いのだが、ブナの種子は多いとはいえず、あったとしても「しいな」(中身のない種子)が多く、ブナの不作年の可能性があった。そうだとすると、クマはミズナラ林に集まっていたのかもしれない。

昨年クマの痕跡がなかった尾根に、今年はクマ棚が多数存在する・・・。昨年1回きりしか歩かなかったら、気づくこともなかったこと。逆に、今年1回きりし か歩かなかったら、なんとクマの多い、そしてクマにとって居心地のいい林なのだろう、と思っていたかもしれない。けれども、歩き終えて、こうして考えてみ るとクマは、今年は主食のブナが少ないぞ、というサインを送っていたのかもしれないなと思った。

発信器をつけたクマを追跡する調査ではなかなか山に入る時間がないので、林道から森の姿をみていることが多い。けれども、実際森の中を歩いてみるといろいろな発見が尽きず、そのことの大切さを実感する。

落葉広葉樹林を代表するブナの豊凶の周期は、3~6年といわれている(橋詰 1994)。そして、おそらく、クマをはじめとした動物や鳥は、毎年同じ状況と限らないブナをはじめとした森の変化に応じて食べ物も変化させているのだろう。

クマに限った話ではないが、それぞれの動物の状況は単年度ではなく長い目で変化を追っていかなければ、間違った見方をしてしまいかねないと思う。続けていかなければ見えないこと、秋の山が教えてくれたような気がした。

参考文献:
溝口紀泰・片山敦司・坪田敏男・小見山章(1996)ブナの豊凶がツキノワグマの食性に与える影響-ブナとミズナラの種子落下量の年次変動に関連して-. 哺乳類科学.36(1), 33-44p.
橋詰隼人(1994)ブナの種生態.ブナ林の自然環境と保全.pp53-61, ソフトサイエンス社, 東京.

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