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No.155 新米獣医師奮闘記 ~野生動物を診る~

2022年07月発行

新米獣医師奮闘記 ~野生動物を診る~

 

箕浦 千咲(WMO)

 

職業として、野生動物の生体に触れ、治療や安楽殺に従事する獣医師は非常に少ない。「野生動物獣医」というと動物園の獣医師が思い浮かぶかもしれないが、野生動物とは「原野など人の手の入らない領域に生息している・人間に養われていない・人間社会の存在に依存していない動物全般」を指すとされ、厳密に言うと動物園の動物は、人間に養われている「展示動物」である。

「絶滅危惧種を助けるような仕事がしたい」と漠然と思い続けていた私は、6年制の獣医学科を卒業してすぐ、幸いにも環境省の「ツシマヤマネコ保護増殖事業」に獣医師として4年間関わることとなった。

今回は、この前職で体験した新米獣医師としての波乱の日々を少し紹介したいと思う。

 

獣医師は「治せる人」と思われる

勤務地は、長崎県の離島、対馬。仕事場の野生生物保護センターではツシマヤマネコを飼育展示しており、野生個体が救護されれば、治療して放獣する。しかしセンターの獣医師は、「獣医師免許」を手にしたばかりの私一人。それどころか、対馬島内に犬や猫を治療できる動物病院はたった2軒しかなかった。

獣医学科を卒業したからといって、いきなり治療や手術がバリバリ出来るわけではない。大学でやる手術実習はごく一部で、ほとんどの手術はやったことがない。医者のような「研修医制度」はないが、動物病院には毎日沢山の症例が来るので、先輩から診断や治療の進め方を学んだり、手術の際はまず外野や助手を経験し、徐々に術者として独り立ちする。

言わずもがな、獣医師が私一人しかいないというのは大ピンチだった。いきなり私一人で治療は出来ないので、島内の動物病院の先生が往診に来て下さり、私はその手技を必死に見て学んだ。簡単な検査や処置は最初から任せてくれたが、最初は採血すら失敗した。

「猫で百発百中成功するようになるまではヤマネコの採血は任せられない」と、有難いことに先生の病院の供血猫で採血の練習をさせてもらえることになり、退勤後に動物病院に通い失敗しなくなるまで、連日練習をした。吸入麻酔の際の気管挿管も「時間との勝負。すばやく出来なければダメだ」と言われ、緊張しながら先生の前でもなんとか出来るようになった。エコー下で膀胱に注射針を刺して採尿する「膀胱穿刺」をする際にも、「経験のない獣医がするのは危険だ」とおっしゃっていたので、自宅でこんにゃくに空洞を作り、膀胱に見立てて練習した。休日には不妊化事業の対象地区でノラネコを捕獲し、避妊・去勢手術をさせてもらった。

先生には「国の大事な天然記念物に、中途半端な治療をしてはいけない」とよく怒られた。それは勿論ヤマネコのためであったが、私の成長の為でもあったのかもしれない。

その先生は私に「周りからしたら俺もお前も同じ、対馬に数少ない獣医師だ。何年目かは関係なく、獣医師は治せる人だと思われる。対馬の人はお前を頼るしかない。だからお前は何年目だろうと治さなきゃいけない。」とおっしゃっていた。出来ないのはしょうがない、と心のどこかで思ってしまっていた自分を恥じた。忘れちゃいけない言葉だと思った。

 

飼育は「観察」

先生も言うように、周りからは「獣医師は動物のことを全てわかっている」と思われる。着任初日に飼育員に聞かれたのは「飼育ヤマネコの体重が増えているがこの程度の増加は平気か?季節変動か?」ということだった。体重の増減率が大きいと疾患を疑う必要があるが、猫と同様に考えると異常といえるほど大きな増加だった。しかし相手は野生動物だ。私はまず健常なヤマネコの体重データを集め、どの程度の増減が許容範囲かを知るところから始めなくてはならなかった。

初日から飼育員の質問に面食らった私だが、その後も戸惑う相談は続いた。尿スプレーの頻度、常同行動、飼育舎に入れる砂の種類…。毎日あらゆる文献を調べる日々が続いたが、載っていないこともしばしば。先輩飼育員と一緒に色々試行錯誤したり、個体をひたすら観察して答えを出すこともあった。

その先輩には獣医師にはない知識や技術があり、一緒に飼育作業を経験することで学ぶことも多かった。例えばヤマネコを捕獲する際、やみくもに網を振り回すとストレスがかかる。個体の顔や足先の向きを見て、どう動きそうかを瞬時に予想し、その方向に先回りして網を構えれば捕獲できる。飼育は常に「観察」が仕事なのだと言っていた。個体の異変に飼育員が気づけなければ、獣医は治療ができない。月の満ち欠け、潮の満ち引き、気温・湿度…毎日少しずつ異なる自然環境の中で、毎日動物は異なる表情を見せる。それを毎日観察して、健康な状態を理解しておかなければ異変にも気づけない。先輩はその年結婚し退職してしまったので、私が一緒に飼育作業をしたのは最初の半年だけだったが、処置中の個体の反応を観察しなければならないのは獣医師も同じこと。その後の動物との向き合い方に良い影響を受けた。

 

「野生動物の治療」のリスク

野生動物を治療する上で考慮しなければならないのが、犬や猫以上に検査や治療、飼育にストレスがかかるというところだ。特に傷ついて救護された野生個体は、入院室で飼育中に脱出しようと窓やドアのサッシを噛んだり引っかくことがある。なるべく無麻酔保定下で採血や注射、簡単な処置を行うのだが、その際に興奮することもある。

これらを防ぐために、噛んだり引っかかりそうな構造物を無くし、補修点検するのはもちろんのこと、獣医師がすべきは、なるべく素早く必要な検査や処置・治療をし、治ったらすぐ野生に帰すことだと思っている。

冒頭にも書いたように、野生動物の定義は「人間社会の存在に依存していない動物」である。飼育期間が長いほど、人から餌をもらう期間が長くなり、人への「馴れ」や「依存」が生じてしまい、放獣後に集落内の生ゴミや箱わなに誘引される可能性を高めかねない。「人との関わりは最小限に」これは野生動物と向き合う際に大事な考え方だと思っている。

 

どうやって治すか ~経験症例~

ヤマネコの検査のおおよその基準値や与えてもよい薬、治療方法などは、基本的にネコに準じる。とはいえ、ネコも治療出来ない新人だった私は、症例ごとに出来る限り情報を収集し治療計画を立て、時には大学教員など外部獣医師にも意見を聞き、何とか最善の治療が出来るよう尽くした。

島内の獣医師にも相談したが、「自分の症例は自分で責任を持って好きにやってみなさい」と、例のごとく、先生らしい激励を頂いた。

学生時代は内科学研究室に所属し、他の学生より比較的、大学病院やバイト先の病院で診断や治療の仕方を間近で見ていたと思う。そこで学んだ「SOAP」という4段階の診断の進め方はとても役に立った。

救護時の状況や個体の観察、飼育員の飼育状況からS(症状)を書き出す。その症状から疑わしい疾患を列挙した「鑑別診断リスト」を作成し、それらの診断のために何の検査が必要かを書き出す。Oはその検査結果である。SとOから、「鑑別診断リスト」のうち可能性の高い疾患を絞るA(評価)を行う。AをもとにP(計画)を立てるが、方針は多様である。

Aにより診断が確定すれば、そのまま治療の計画(何を投薬するか・手術を行うか…等)を立てることになるが、この時点で確定できていなければ、確定診断のために追加の検査を行ったり、「診断的治療」といって、投薬をしてみて薬への個体の反応を見て診断を確定させていくなどの方法をとる。

ヤマネコではないがわかりやすいので、私が治療した野鳥(シロハラ)を例に挙げる。「S:左翼が下垂し飛べない」シロハラが救護されたので、骨折を疑い、「O:レントゲン検査・血液検査」を行ったところ、骨折端が筋肉外部に露出した開放骨折が見つかり、脱水や削痩も認められた。「A:翼下垂は骨折が原因」と判断し、「P:治療計画」として、補液と強制給餌を行い、栄養状態を改善させつつ、添え木をして骨折部位の外固定を試みた。しかし骨折部位の癒合は見込めず、既に骨折端が壊死し始めたことが観察された。壊死が拡がると命に係わるので、ただちに「P:治療計画」を変更し、左翼の断翼手術をすることにした。

野鳥で「断翼しないと死ぬが、断翼すると野外で飛べなくなり生きていけない」となると、通常は、壊死が拡がり苦痛を与えてしまう前に安楽死を選択する。しかし、この時のシロハラは、その後自分が終生飼育することを条件に、断翼手術を決行することにした。

シロハラのような小鳥の全身麻酔は非常に死亡リスクが高い。麻酔開始から30分以内に縫合まで全工程を終了させ覚醒させないと、麻酔から目覚められず死んでしまう。また、かなりの低濃度で麻酔ガスをかがせて、呼吸が止まりそうになれば直ちに麻酔を切れるようにしないと、呼吸が戻らず死んでしまう。野鳥の死体を拾ってきては何度も死体で練習してイメージトレーニングを入念にし、手術中の呼吸や心拍を飼育員に常に知らせてもらいながら手術を行い、何とか成功して無事に覚醒した。

彼は現在も、6年近く元気に生きているが、野生動物を、延命のためとはいえ手術と引き換えに飼育下におくというのが個体にとって果たして幸せなのか、手術前にかなり悩んだ。シロハラには申し訳ないことをしたが、この時救命できたことは自分の経験や自信になり、他の野鳥の治療やヤマネコの治療にも役立ったと感じている。

 

「その道のプロ」の力を借りる

診断や治療は、前述のような方法で、漏れが無いよう一つ一つ着実に行っていくのだが、「P:治療計画」に対馬では出来ないような診断・治療内容が含まれることもある。島内の動物病院に設備が無いこともあり、個体を島外の動物病院に運搬し検査や手術を行うこともあった。このような場合に、島外の獣医師の協力は不可欠なので、日頃から様々な相談ができるよう、各分野、専門家である大学の研究者などとの関係づくりを重要視してきた。

例えばヤマネコの餌は、バランスのとれたキャットフードではなく生きたネズミや角切り肉を与えるので、栄養成分の数値は栄養学の専門書にも載っていなかった。そこで、ネコ科動物の栄養学の研究をされている大学の先生に直接電話で相談してみたところ、与えているネズミや肉を送ってくれたら栄養成分を測定してあげるよ、とのこと。それだけでなく、測定値をもとにどのようなバランスで給餌すればよいか、アドバイスも頂いた。

それまでは餌の栄養計算まで出来ていなかったが、上記の一件から適切な栄養管理ができるようになった。その時初めて、私一人ではわからないことでも、各分野のプロから知識や技術を提供頂ければ、最適な飼育や治療が出来る、と思い至ったのである。

そのことがあって以来、対馬でヤマネコの精子を凍結保存するため大学に技術指導を受けに伺ったり、感染症対策マニュアルを作成するため、直接感染症関係の研究者に電話で相談したりと、大学の先生方には大変お世話になった。少しでもヤマネコの為になるなら、と先生方は嫌な顔をせず様々な相談に乗って下さった。ほんの少し前、学生として指導頂く側だった私が、専門家の先生方と協力してヤマネコの問題を解決していくのは不思議な気分だった。立場は違えど、皆動物の為を思う気持ちは一緒であることが、嬉しかった。

 

獣医師として、野生動物と向き合う

ここまでは主に「臨床獣医師」として治療にあたってきた経験を書いたが、ペットの診療とは異なり、野生動物の治療機会は非常に少ない。飼育個体の定期健診や、救護個体の治療は毎日あることではない為、実は「臨床獣医師」の顔はむしろごく一部であり、日々、治療以外のことの方が多く求められた。

例えば、野生生物保護センターより南にある環境省の「ツシマヤマネコ野生順化ステーション」という施設では、将来的に飼育下のヤマネコを野外に放獣する必要が生じた場合に備え、様々な「野生復帰技術開発」が行われている。私はそこで、野生復帰訓練のメニューが医学的に個体の健康に影響を与えていないか、施設としての安全面への配慮や感染症対策は万全か、などを獣医師の視点から助言した。

また、ヤマネコなどの希少種の死体が運ばれてきた際には、死因究明も行い、死体の一部を研究のため島外に提供することもある。獣医師は治せる人と思われると同時に、感染症の知識や個体の安全への配慮の知識も勿論あるものと思われるので、そういった様々な疑問や相談が獣医師に投げかけられる。間違ったことは絶対に出来ないので、常に情報収集し専門家と連携することで課題を解決した。

対馬で学んだことは、「獣医師」である限り、新米であっても、知らないことを聞かれても、動物の為に最善を尽くすべきだということである。自分には出来ないことでもまずは調べて勉強すること、専門家の力を借りること。最初から人を頼るのではなく、自分で出来ることはどこまでかを考え一生懸命取り組んでいれば、周りの人は必ず力を貸してくれる。

私が前職で経験した、「臨床獣医師」としての「野生動物の治療」の経験はとてもやりがいがあったけれど、治療という手段は「対馬島内の生態系を守る」という目的からするとほんの小さな一部だと感じることが多かった。

WMOに入って丸2年。日本の生態系を守るためもっと大きな問題に立ち向かう「野生動物の専門家」を目指して、再び新米から修行中の現在だが、治療に限らず、動物の為に最善を尽くすことは、WMOで働く今も忘れてはいけないことだと思っている。

現在は野生動物を「治療」することこそなくなったが、安全に麻酔をかけること、出来る限り苦痛のない安楽殺をすること、野生動物による感染症対策に向き合うこと、野生動物の獣医学的な研究を進めること…「獣医師」としてすべき任務は沢山ある。まだまだ新米ではあるが、自分なりの「野生動物獣医師」の形を模索しながら、今後もベストを尽くし、真摯に動物たちに向き合っていけたらと思う。

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