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和歌山タイワンザルの群れ根絶の報告

2019年02月発行

和歌山タイワンザルの群れ根絶の達成

白井 啓(WMO、和歌山タイワンザルワーキンググループ)

 

あっという間の24年間

あっという間に月日は流れていたが、ふりかえってみると24年もの長い時が経過していた。あっという間の24年間、粛々と進めてきたとも思うし、同時にさまざまな喜怒哀楽のできごともあった。本来責任のないタイワンザルと交雑ザルを、侵略的外来種だという人の論理で一方的に強制的に捕獲したわけで、祝賀会をする気持ちはない。しかし、日本の外来種対策において大変貴重な事例であり、多くの方々の協力で達成できたことであり、私はさまざまな立場、つまり和歌山県委託業者(WMO)のプロジェクト・リーダー、NGOの和歌山タイワンザルワーキンググループ(代表 和秀雄)の事務局、日本霊長類学会霊長類保全福祉委員会の幹事、日本哺乳類学会哺乳類保護管理専門委員会外来動物対策作業部会の委員、また外来マカク問題を心配する個人の立場を含めると5つの顔があって、凡人の私には荷が重かったが、さまざまな機会に居合わせることになったので、所属するWMO(野生動物保護管理事務所)の機関誌であるこのFIELD NOTEでその報告をさせていただく。

 

根絶の公表

最後と考えるサルを捕獲した2012年4月30日から開始した県事業の根絶確認調査が、予定通り2017年4月30日に終了した。40台の自動撮影カメラを中心に、足跡トラップ、聞き取り、通報、探知犬、回覧板による残存個体有無の情報収集を5年間継続したが、タイワンザルあるいは交雑ザルの残存を示すデータが得られることはなかった。

和歌山県は検討会を開催し、学識経験者から意見を聴取し、群れが野生化して来た大池地域(和歌山市東部から海南市東部にまたがる地域に私がつけた通称)に群れは残存していない可能性が極めて高いと判断し、2017年12月22日、和歌山県知事が根絶を公表した(岡田準備中、清水2018a)。

http://wave.pref.wakayama.lg.jp/news/kensei/shiryo.php?sid=26566

 

野生化の影響と対策の目的

前後したが、なぜ対策が実施されたのか簡単に書いておく。外来種が野生化すると、在来生態系、産業、人の健康等に影響がある(池田1997、山田・池田・小倉編著2011等)。タイワンザル、アカゲザル、カニクイザルの場合、ニホンザルへの交雑、その他の生態系への影響、食害があげられる(和1988、白井2002)。食害は農家さんが大変で、一般の方々にも理解しやすい。しかし、交雑という影響は、世の中としてはとてもわかりにくようで、対策開始当初どころか現在まで説明が難しい課題である。私個人は1987年に下北半島の付け根にタイワンザルが半野生化していると聞いた時、ニホンザルを本格的に見始めてまだ1年半だったが、下北と津軽のニホンザルが交雑の危機にある!と瞬時に危機感を持った。しかし、それは一般的な感覚ではなかった。その他の生態系への影響は時間がなく取り組めていないが、ニホンザルが食べない生き物をタイワンザル等外来マカクが食べれば、その生き物、そして間接効果を通して関係する多くの生き物に影響が出ることになる。台湾の野生タイワンザルがサギのひなを食べ(田村2011)、下北のタイワンザルは小鳥を捕まえて羽根を噛みむしり、目の前に鶏卵を置いてみたらオトナメス数頭がすーっと集まって即殻を割って中を食べてしまった。また、タイワンザルが野生化した大根島では海鳥のコロニーが消滅し、モーリシャスでは野生化カニクイザルがモーリシャスルリバトを絶滅に追いやったそうである(正確にはカニクイザルを放した人が原因)(白井・川本2011)。そういうことから生態系への影響を私は心配するべきだと以前から考えていて、誰かに調べてもらいたい。

対策の目的は、それらの影響を防ぐことにある。ニホンザルを交雑から守り、在来生態系を守り、食害を防止するためである。和歌山での対策は、ニホンザルの交雑を防ぐためとして、ひいては食害も防止することになるとされた。

 

根絶までの道のり

 あっと言う間の24年間をまとめると、図1の通りである。苦労話を織り交ぜつつ、この経過を報告させていただく。

・協働チーム作り
1950年代、和歌山県北部でタイワンザルが野生化した(写真1・2)。1964年生まれの私がそれを知ったのは、故前川慎吾先生の配布資料を研究会の会場で読んだ1995年。1996~1998年に予備調査。大池地域から約25km南の旧中津村において県事業で捕獲したサルの尾長が29cmだったことで(川本ら1999)、体に電気ショックが走ったのが1998年。この個体はその後さらに約50km南下(白井・荒木未発表)。結成間近の和歌山タイワンザルワーキンググループの面々およそ10人が現地に行き、野生化しているサルはタイワンザルであることを関係者ではじめて目視確認し、しかも顔にニホンザルの面影のあるオトナメスや尾があまり長くない個体を複数目撃したことから、大池地域では交雑がすでにかなり進んでいることを確認したのは1999年1月(白井・川本2011)(写真3・4)。

 

 

そして、奇しくも同じ1999年1月、一部の地元住民はミカンやタケノコ等への食害に業を煮やして捕獲したサルを和歌山市役所、和歌山県庁に持ち込み対策の必要性を訴えるという大胆な行動を起こした。大池地域の連合自治会から和歌山市や和歌山県に対策実施の陳情をすると共に、協議会を設置して自ら捕獲を開始した自治会もあった。この地元の積極性が、この後に長く続く対策の原動力であったと私は考えている。
さらに和歌山県も同じ頃、タイワンザル対策の必要性を検討し始めていて、外来種問題の講習会を鳥獣保護員に向けて開催する等していた。
これらNGO、地元、行政がうまく連動し、そこに日本霊長類学会、日本哺乳類学会、日本生態学会、WWFJ、ジャーナリスト等が絶妙に絡んだ。連動した、絡んだと書いたが、せっかくの機会なので自分で書いてしまうと、連動させ絡ませる策を練り講じることに私は随時、随分時間を使った。いくつもの主体がバラバラに動いてしまうとチームとして機能しないわけで、全体がいつのまにか統率された意図で連動するようにコーディネートした。そのため、活動開始当初は組織間や仲間内でも強い口調で議論することもあったが、共に調査し日夜、議論を繰り返し情報共有、意見交換に努めた。地元の方々に怒られることもあったが、そのたびに説明し協働を呼び掛け一緒に汗を流した(写真5)。繰り返し通うことになった、自分で決めた現場なのに不慣れな大変狭い農道、林道ではじめのうちは何度も脱輪したのだが、実はとても優しい方々であり昼でも夜でも高血圧でも病み上がりでも助けて下さった。そのおかげで和歌山ではJAFを呼んだことがない。現地での宿泊は地元の方の長屋門の部屋であり、手術室も地元の方の倉庫であった。地元の青果店に通いエサの調達で協力をお願いすると、社長さんも話好きで毎回30分~3時間くらいの話になり、うちに泊まって行くようにと言って下さることもあった。猟師さんにも会いに行き、最後の最後に銃に頼る必要があればと協力をお願いした。実際はワナだけで捕獲は進んだので、最後まで銃のお願いをする機会は訪れなかったが、この地域ではめずらしいアマナツを栽培しておられ、温州ミカンや八朔とは違う季節に箱ワナを設置、稼働させていただいた。その甲斐あって、しだいに一つの方向性を共有し、ある時点から合意形成が急速に進み、その後の対策、モニタリング、根絶確認のそれぞれで、遠隔地の現場だったにも関わらず、必要最小限のことはやり切れたのだと思う。20代の頃、東京の野生ニホンザルの話をする時に作った図をそのまま実践したことになった(図2)。

現在では各地で外来種対策が実施されているが、和歌山での対策開始当時は「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」(以下、「外来生物法」とする)(2005年施行)はまだなく、日本で外来種対策は一般的なことではなかった。1980年代から取り組んでいた下北半島のタイワンザル問題の活動も停滞していた(後に動き出し2004年に全頭を生態系からの除去完了)。そういう厳しい状況だったからこそ、集まった有志の結束が固まって行ったのかもしれない。国内外の外来哺乳類対策の研究者も視察に来て励まして下さった(写真6)。

・迅速な初動~成功した初期捕獲
当時大変なことは確かにたくさんあったが、ふりかえってみると、和歌山県事業としてタイワンザルの野生化を確認した後は、取り得る可能な範囲でかなり迅速に計画策定、対策開始へと進んだと思う。いろいろ言われたが、必要最小限の時間はかかるということ。「焦らず急ぐ」と話していたのを思い出す。早期の対策開始は外来種対策では本当に重要なことなのに、現実は本当に難しいこと。それを、上記の厳しい状況下にも関わらず結構できていたのは、ぶつかりながらも関係者の保全への意欲の賜物である。
県の安楽殺処分案に約500件の反対が殺到し、それらの意見等から整理した4つの生存案(離島放逐案、飼育施設で管理する案、繁殖制限し地元に放逐案、柵で囲った県有林放逐案)との比較検討を県がしたが(岡田準備中)、それも合意形成に不可欠なことだったし、3ヶ月くらいしかかからなかった。正直に書くと、当時私はこの比較検討は早期対策開始のための時間短縮のために省略した方が良いと意見していたのだが、県がして下さって本当に良かったとその後、感謝している。
捕獲開始後、最初の約1年間で個体数の約70%を捕獲できたことも、外来種個体群の繁殖の勢いを止めることにつながって大変良かった(図3)。

・トラップシャイ捕獲と残存数把握が困難な局面の打開
ここには書ききれないほどの壁がいくつもあったが、サルがたくさんいる間はたくさん捕獲できた(段階5)。対策開始後に最も大きかった壁は(あくまで私にとってということだが)、段階6の少数生息時のトラップシャイ個体の捕獲とその残存数把握の困難さ、そしてそれらを実施する予算の不足であった(図4)。

トラップシャイ個体の捕獲は、結果的にはあまり困ることはなく、常法と言えるワナ捕獲を基本に立ち返って実施することで進んだ。
残存群れ数・個体数の把握は、近年急速に普及しているGPS首輪と自動撮影カメラを組み合わせる方法を思いつき、そのアイデアを武器に予算獲得を狙い、3つ目の申請で勝ち取ったのが環境省の地域生物多様性保全支援事業だった。そのおかげでGPS首輪+自動撮影カメラの方法を試行、実践し、成果をあげることができた。GPS首輪で既知の群れの位置を1時間間隔で把握しながら、自動撮影カメラで個体数把握あるいは個体識別して未捕獲個体の有無の把握を平行して実施し、既知の群れとは違う場所で群れが撮影されれば、それは未知の群れとわかるという寸法である(図5)。

その結果、未知の群れは存在せず、3群から2群、そして1群に合流していく過程をとらえ、捕獲されたことがあり電波発信機装着かつ不妊処置済み個体(写真7)およびニホンザルオス以外、つまりこれから絶対に捕獲しなければならない未捕獲個体は交雑のワカメス1頭だけであることを把握できた(不妊処置個体は寿命が来れば死亡するため)(写真8)。

 

・根絶の判断
根絶確認の調査項目は根絶の公表の項で書いた通りである(図6、写真9)。調査方法は、昼行性、群れ生活、木登り、アカンボウや1歳は母親(メスザル)の腹か腰にしがみつくこと等の習性や、足跡が他の動物種と大きく異なる形態等を考慮し選定した。調査期間は、ニホンザル、タイワンザルの一世代が約10年であること、性成熟~初産が約5歳で始まることから設定した。そして5年間、粛々とモニタリングを継続し、その結果、残存するデータは得られなかったのである。これらの調査方法と期間は、和歌山タイワンザル対策に関わって来た研究者から構成される県の検討会で議論した。

 

根絶か否かの判断のタイミングについては、根絶あるいはそれに近い事例に関わる外来哺乳類や外来昆虫の研究者にも相談した。つまり、いることの証明はできるが、いないことの証明は100%はできない。そして、生態的に規模的に適切な方法を必要な期間継続し、確認されないデータを積み重ねるしかない。根絶の判断とはそういう類のものである。ただ、根絶と判断した後も、可能なモニタリングを継続し、万一に備える。このように考えた。
検討会でまとめた根絶の判断は次の通りである。
「特定外来生物タイワンザル及び同じくタイワンザルとニホンザルの交雑種の体格、生息環境、社会、行動、生態、繁殖等の特徴を考慮してモニタリングの項目、方法を選定、期間を設定し、最後のタイワンザルあるいは交雑個体の捕獲後に5年間のモニタリング調査を実施したが、タイワンザルあるいは交雑個体の残存の証拠は得られなかった。したがって、大池地域のタイワンザル及び交雑種の群れは根絶したと判断する。」(2017年12月)

 

外来種対策を通じて学んだこと

・外来種対策の八カ条

1987年、下北半島のタイワンザルの調査開始以来、外来種の調査や対策に関わって来た32年間で学んだことをまとめてみる(白井準備中)。

其の一 早期対応と継続性の重要性
其の二 初期捕獲の成功
其の三 モニタリングの平行実施
其の四 ニホンザルや外来種対策の知見の活用
其の五 人員、時間、予算が必要
其の六 協力体制と役割分担
其の七 倫理的な理論武装(折り合い)と支え合い
其の八 予防第一

 

このようにまとめてみたが、これらは以前から外来種対策で重要とされていることばかりだ。その体験者として追認したとしていただこう。さまざまな外来種対策の現場で活用できるであろうから、参考になれば幸いである。

 

・人が一番大事
大学生の時に、野生動物の保護や管理には人と時間とお金が必要であると教えていただいて、その後、自分でもそう実感しているし、野生動物のことに限らず程度の差はあれ世の中の問題解決の場面で共通している。その上で強く思うことは、一番大事なのは人である。お金があっても人がいなければ何も始まらないが、問題意識と行動力を持っている人がいれば時間を作るだろう。そうして調査やコンサルティング、対策の芽が出る。その芽を育てるには、問題意識や解決への強い意思を持っている人が、その問題の深さに見合う人数が必要だ。中途半端な人ばかりでは続かない。さらに、必要な分野で能力を持っている人が集うとなお良い。
和歌山タイワンザル対策においては、和歌山県事業を中心に地元の方々や霊長類・哺乳類関係者、ジャーナリスト、学生が集まり、人数、意識、分野がそのように揃ったので良かった。

・外来種対策は順応的管理だが、根絶事業には終わりがあるべき
野生動物管理は順応的管理の一つであると言われる。外来種対策もPDCAサイクルで仕事を進めるべきではあるものの、根絶を目標にしている場合は終わり(End)があるべきである(図7)。ただ、その時、今後の改善や技術の進歩も可能性として取り入れて、まずは分布縮小等コントロールを目標として、その後根絶を目指すという長期の計画もあり得る。

・倫理的な折り合いと支え合い
外来種対策において、捕獲および安楽殺処分の対象になるのは外来種の生き物であるが、冒頭でも述べたように、本来それらの生き物に責任はない。外来種は意図的あるいは非意図的の何らかの人為によって移動させられたからであり、自力で移動してきた場合、外来種とは呼ばれない。しかし、それでも在来生態系や在来種、人の健康や産業に大きな影響を防ぐ必要があるという目的からの理由と、外来種対策にかけられる予算や人手が限られてしまうという人の事情から、多くの場合、やむを得ず生き物にしわ寄せする安楽殺処分が選定されている。生態系から隔離して不妊処置をして寿命まで飼育するケースがないわけではないが、それは条件が重なった極めて稀なケースと言わざるを得ない。
人の事情であるがそういう背景は理解している。しかし本当はタイワンザルを放してしまった人が悪いし、それを監督していた行政機関も問われるべきであり、もっと言えば国の方針も問われる。ところが和歌山でタイワンザルが野生化した1950年代当時は、世の中に外来種問題という認識がなく、サル学で有名なわが国であっても、ニホンザルのオスが群れから離脱するのは例外的な行動で群れ間の交流はほとんどないと考えられていた。したがって、当時の関係者の責任を問うことは難しい(逃がしていいわけではないが)。世界中の外来種対策関係者のバイブルで、外来種の影響と対策の必要性を説いたチャールズ・S・エルトン博士の名著「The Ecology of Invasions by Animals and Plants(邦題は侵略の生態学)」でも、その母国イギリスでの刊行は1958年である(Elton1958)。
とは言え、1995年に問題を知り、1996年から和歌山に通い始めた私は悩みを抱えていた。ニホンザルを種、個体群として守るために、タイワンザル、交雑ザルを処分して良いのか?あるいは、タイワンザル、交雑ザルの生命を守るために、ニホンザルを種、個体群として守らなくて良いのか?言い換えると、在来生態系保全と生命の尊厳のどちらを優先するのか?個体を処分すること、あるいは種や個体群を守らないことのいずれでも認める場合、外来種問題を引き起こした人は責任を取らなくて良いのか?環境倫理、生命倫理の本を読みかじった結果(加藤編著2005等)、個体より個体群、個体のためにも個体群という元々持っていた考えから、在来生態系を守る必要がある。ただし、処分はできるだけ苦痛のない方法を用いるべきであるし、処分する数をできるだけ増やさない。このように、自分の中では折り合いをつけている。これはあたり前のことで、外来種対策、野生動物管理、さらには畜産関係者、犬猫管理、実験動物に関わる多くの人の思いだろう。対策を実施する以上、そう折り合いをつける以外ないとも言えるが、世の中は簡単には割り切れる人ばかりではない。理とか律は大事だが、人なので情も大事である。
外来種対策の関係者は、外来種対策の必要性を世の中に対して説明する役割を持つことになるが、このように対策に従事する自分自身の中での折り合いのために倫理的に考えることも必要だろう。そして、複数の人で代わる代わる作業にあたるなどして精神的に支え合い負担を分散することも重要である。ただし、言うは易く、行うは難し。現実の人手は限られ負担が偏るのはよくあることである。
こんな悩みなど書かない方が良かったかもしれないが、私だけのことではなく、外来種対策関係者、特に現場の作業に直接従事している(ナイーブな)当事者を代表(代弁)して書いておく。和歌山タイワンザルは中学生向けの道徳の教科書にも取り上げられていて大変光栄だが、大人でも難しい課題だと改めて思う。

・根絶の判断、認定の課題
今回、根絶を果たすという貴重な経験をさせていただいた。それを判断、公表するのもあまり経験できないことであるが、その準備を進めると疑問が生じた。疑問一は「根絶であると判断、認定するのは誰なのか?」、疑問二は「どういう根拠があって、どのタイミングなのか?」である。
下北半島のタイワンザル、放し飼いだったが飼い主からの餌やり以外は野生化状態で生態系の中にしっかり入っていた、その全頭捕獲の時は、行政の事業ではなく有志の自分たちで判断したのであまり参考にできない。徐々に情報として広まっているが、環境省の特定外来生物一覧表ではその記載は現在もない。ただ、国立環境研究所の侵入生物データベースでは「全頭捕獲された」と記載されている(両HPとも2018年10月26日現在)。

疑問一 根絶であると判断、認定するのは誰なのか?
今回和歌山県検討会で根絶と判断し県知事が公表したら、そのまま国や世間が認めてくれるのか?とふと気がついた。そこで、外来生物法を所管している環境省に質問してみたところ、「特に制度はない」とのことだった。絶滅か否かについては、「レッドデータの更新がおおむね5年ごとにされていて定期的に検討の場があるので、そこで検討できる」とのこと。一方、根絶か否かについては、「定期的な会議がない、つまり検討する場がない」。したがって、対策の実施主体が判断することになると。なるほど「絶滅危惧種」から「絶滅種」に変更されたカワウソは、前回のレッドデータ見直し時に検討された。

https://www.env.go.jp/press/15619.html

今回の和歌山タイワンザル群れ根絶の場合は、捕獲を実施した県が判断し公表したわけであるから、関係している専門家の意見を聴取してはいるものの、自分で実施し自分で判断、認定したことになる。そうするしかなかったのだ。ちなみに、和歌山のタイワンザル群れの根絶の公表から10ヶ月が経過しているが、環境省の特定外来生物一覧でも国立環境研究所の侵入生物データベースでもその記載はまだない(両HPとも2018年10月26日現在)。

疑問二 どういう根拠があって、どのタイミングなのか?
根絶達成とはどのタイミングを意味するのか。判断した時か、公表した時か。あるいは最後の個体を除去した時か、根絶確認を十分に実施し終えた時か。最後の個体の根拠、根絶確認の丁寧さはどの程度求められるのか。根絶確認調査が十分なのか(だったのか)誰が判断するのか。根絶達成と思ったが再発見された例では、捕り残しがいたのか、再度野生化したのか、判断は容易ではないらしい。そういう不確定要素の検証は、生物学的に社会的にどの程度可能か必要か。そういう疑問である。
まとめると、現在、根絶であるという根拠の判断や認定に基準はなく、認定する人も場も定まっておらず、その根絶を達成したと思う人、機関が判断する状況にある。今後、外来種対策が進み根絶事例がもっと出てくることが期待されるわけであるから、ある程度は統一した考え方、手続きが必要になるだろう。そうでないと、本当に根絶なのか、という事例が出てしまう可能性がある。外来生物法はまだ新しいので、これからの課題ということだろう。
環境省や国立環境研究所のHP情報において、和歌山タイワンザルの群れの根絶が、どういうタイミングで誰の判断で記載していただけるのか見守りたい。不定期なのかもしれないが、特定外来生物の選定見直しの場があるだろうから、そこで検討できないのかとは思うが。

*外来生物法について
この法律ができたことによって大きく変わった。外来種という概念が広まり、各地で対策が実施されるようになった。ご尽力下さった先生方や環境省にも本当に感謝したい(村上2000・2011、高橋2000・2001等)。そしてさらに良い法律にしていただきたい。

 

引き継ぎ

根絶を目標としている場合、「最後の仕事は捕獲ではなく(根絶確認の)調査です」、とこの20年間繰り返し説明してきた。しかし、今年になって修正している。最後の仕事は、現場の片付けとあいさつだったからだ。鳥居春己先生、高野彩子さん、地元の方々に手伝っていただき片付けて、お世話になった特に地元の方々にあいさつして回った。一部の方しか回れていないが、それでも予算の伴う事業はすべて終了した。
下北半島タイワンザル問題は、私で言うと1987年にはじめて見て問題を知ってから(白井1988)、全頭捕獲の2004年まで18年間だった(白井2006)。1980~1990年代は諸々状況が整っていなくて対策が進められず、長年歯がゆい思いを味わった。その後に始めた和歌山タイワンザル問題は、しつこくて恐縮だが、それを超える24年間もかかった。継続は力なりと言うのは本当であると実感すると同時に、これほど長期間モチベーションを保つことは容易ではないとも思う。
しかし、まだまだ問題が残っている。大きくなってしまった千葉アカゲザル問題があり(大井ら2013、川本ら2017、清水2018b)、和歌山というか紀伊半島においても、詳細不明の離脱分散オスの行方が気になる。分散第一世代は寿命でほぼ死亡しているだろうが、千葉におけるようなニホンザルと繁殖している例がある確固たる証拠は今のところあがっていないが、実態調査したほうが良い。そして、伊豆大島や大根島のタイワンザル問題、さらには飼育されている外来マカク、交雑個体の問題もあるので(白井2002、白井・川本2011)、若い人にバトンタッチしていきたく思う。一緒に取り組んで来た私たちのチームは高齢化し、多くの人がもうすぐ抜けていく。人手の確保が最も重要であると同時に最も大変であるが、見方を変えればニッチが空くわけで、ぜひ意欲のある若い人たちに活躍の場として提供したい。民間人でも行政の人でも構わない。今回暗い話も書いてしまったが、それに立ち向かう人、あるいは異を唱える人等、平成の次の時代の外来マカク対策をお願いします。
このようにタイワンザル、交雑ザルの群れを大池地域において根絶し、ニホンザル保全、生態系保全に役立ったと思う。このしわ寄せを伴う仕事が、生物多様性保全やニホンザルと日本人との付き合いの歴史において、百年後、千年後、どのような位置づけになっているのか。これからの人たちに考察してもらいたい。
最後になるが、和歌山タイワンザル対策は、和歌山県事業を中心に和歌山市、海南市、環境省という行政、地元のみなさん、そしてNGOの和歌山タイワンザルワーキンググループ、学会の同志がいて協力し合い、その結果、根絶を達成できたことを改めて記しておく。ここでは代表して私が紹介させていただいた。みなさま本当にお疲れさまでした。ご協力下さった方々感謝申し上げます。

引用文献

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川本芳・白井啓・荒木伸一・前野恭子 1999 和歌山県におけるニホンザルとタイワンザルの混血の事例. 霊長類研究 15:53-60.

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