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No.152 サラリーマン田舎暮らし~春夏編~

2021年10月発行

サラリーマン田舎暮らし~春夏編~

 

稲葉 史晃(WMO)

 

~はじめに~

田舎暮らしというのか、山暮らしと言うのかよく分からないが、とりあえず私は街から離れた場所で暮らしている。国道までは比較的近いのだが、山の斜面を削って開発された別荘地の中に家があり、地デジも受信出来なければ、トイレも簡易水洗、周囲の家は井戸水で生活している様である。引っ越して2年間で、動物を轢いて車を壊す・ムカデに刺される・家の中にアリの巣が出来る・水道凍結により風呂に入れない・畑が獣に食い荒らされる等・・挙げるときりが無いが、田舎あるあるはだいたい経験した。不便な事が多い中で、なぜ田舎が良いのかをつらつらと書いて行きたいと思う。

 

~春~

田舎は野鳥の囀りが心地良い♪みたいなイメージがあるかもしれないが、春先の鳥の囀りはとにかく煩い。4月にもなると日の出前の薄暗い時間から次々と囀りを始め、特にコジュケイのけたたましい鳴き声は耳が痛くなる。引っ越した当初は、ベッド際の窓を開けて小鳥の囀りと共に目覚めようなんて思っていたが、煩くて目が覚めるので閉めるようにした。それでも山間の冬は長く・寒いので、春を告げる鳥の声は少しホッとする。

4月末には庭の雑草も伸び始め、その年初めての草刈りをし、その後は2週間に1回程度は草刈りをする。そこまでマメにしなくてもいいのだが、私の嫌いなヘビが藪に潜むようになると生きた心地がしないので、意地でも刈るのだ。

 

5月になると、春ゼミが鳴き始め、庭の梅の実が徐々に膨らんでくる。出勤前に、この梅は青いうちに収穫して、こっちの木は実が大きそうだから完熟するまで置いといて梅干し用にするか、そんな事を考えながら梅の成熟具合を確認している。

春の一大イベントは畑の苗の植え付けで、残っていた冬野菜を全て抜いたら、耕運機で全ての土を返し追肥しながら混ぜ込む。初年度は畝に防草シートを敷かなかったが、一人暮らしの会社員には、草抜きをマメにするのが面倒なので次年度からは敷くようにした。

朝は少し忙しくて、出勤前に植えた野菜たちの枝を剪定したり等、実付きがよくなるように世話をしてやる。あとは、大事な卵を産んでくれる鳥骨鶏の世話をする。普段は仕事で庭に放してやれないので、私が起床して直ぐに小屋を開けてやり、出勤する前に小屋に戻してやる。雑草を食べたり、土を掘り返したりするので、小さな草刈り要員として頑張ってくれる。

6月に入り、裏山でサシバが「ピックイー」と甲高く無く頃には、いよいよ梅の収穫時期がくる。庭には梅の木が4本あるが、品種がそれぞれ違い、一番大きな実がなる木は、全て梅干しにする。青梅は梅酒にするが、同じ梅酒を作っても面白くないので、1本は黒糖焼酎で黒糖梅酒を作る。

6月中旬頃になると、ホタルが川に乱舞し最盛期には庭まで飛んでくるようになる。7月には数が減ってくるのだが、そうするといよいよ憂鬱な梅雨入りが近づいてくるサインでもある。

 


~夏~

梅雨明けの時期になると、巣穴から出歩くようになった子狐がうろうろと走り回るようになる。夜になると別荘地の中や裏山で「ギャン」と鳴きながら大運動会を繰り広げている。この時期は危険で、平然と庭に入ってきたりするので、迂闊に鶏たちを小屋から放せない。

徐々に飛来する夏鳥の種類も増え、日中はオオルリが囀り夜になるとフクロウに交じってアオバズクとヨタカが鳴き始める。

いよいよ梅雨が明けると、天気が安定して晴れる日を狙って梅の土用干しをする。干している間に雨に降られると元も子もないので、天気予報はマメにチェックし、休日は草刈りをしながら、天日干し中の梅をつまみ塩分補給をしている。

夏は庭の草刈りと、畑の世話を淡々とするだけで、あまり面白いイベントは無いのだが、今年は長雨が続いたこともあってか、非常に短く物足りない夏だった気がする。

8月には一時的に気温が下がり、今年初めてのシカのラッティングコールを聞いた。昨年も確か8月末だったと思うので、我が家の辺りではその頃にオスの繁殖スイッチが入るらしい。


~獣との戦い~

山の麓に住んでいるので獣との軋轢は当然出てくる。別荘地の下にある川沿いの道には、年間通してイノシシ・シカが頻繁に出没する。シカやイノシシは土手で採食する事もあれば、時期によっては土手が別荘地の隣にある田んぼへ行くための移動経路となる。秋期はシカが川に溜まることが多く、メスジカを求めてオスジカも頻繁に下りてくる。川沿いの道は普通車が1台通れるほどの幅しか無いので、急に飛びされても止まれる様に夜間は30km以下で常に両側を確認しながら走っている。それでも2年間でシカ・イノシシと3回衝突した・・。

私の家は別荘地の端にあり山側なので、家の前の道は普通にシカもイノシシ通る。彼らは、別荘地の中にあるパッチ状の林をうまく使って川へ出ていく。そんな環境だが、これまで庭まで入られたことは1度も無かった。今年は、春(6/5)にサツマイモを植え、順調に育っていたのだが、植え付けから一ヵ月ほど経過した7月19日に事件は起きてしまった。朝起きて畑を見たら、あれだけ茂っていたイモ畑がイノシシによって半分以上食い荒らされていた。マルチは捲られ、畝は破壊され、家の周囲の道沿いも堀跡だらけ。翌日から庭の入り口にある蛇腹状の門を閉めるようにしたのだが、それも難なく鼻で開けられ、最終的にはイモ畑は全滅してしまった。うちの畑だけならまだしも、お隣さんの家の前の道まで掘って穴だらけにしてしまい、これは私がイモで誘引させたせいだなと申し訳ない気持ちになった。家に帰ると庭にイノシシが立て籠もる日もあり、しばらくは迂闊に車から降りられなかった。イノシシ親子は数日間で家の畑を壊滅させ、我が家には砂場になった畑だけが寂しく残っていた。WMOとして、家庭菜園のひとつも守れない様じゃ情けない!ということで、研修という名目のもとWMO関西支社メンバーと共に、真夏の炎天下の中で電気柵張りが開催された。電気柵を張って以降は、イノシシ被害は出てないが、次の襲来に備えて電気柵は通年設置しておくことにした。一つ失敗があり、水道メーターも電気柵で囲ってしまったことで、検針の人からまたいでも大丈夫ですかと電話が来るようになってしまった・・


~狩猟~

各地で野良猫への餌付けが問題になっているが、我が別荘地にも野良猫さんが居座っていて、住民で無い方が餌をあげている。これまた不運な事に私の家のすぐ裏山(家から30秒程)で餌を撒いているので、それを狙ってイノシシ・キツネ・アライグマ・カラスが年間通して誘引されている。餌を与えにくる週末には、家上空はカラス祭り、夜はイノシシ祭りが開催され、家の中にいても外からイノシシの「フゴッ、フゴッ」とテンション高めの声が聞こえてくる。私からしてみれば、もはや家の中に餌を撒かれているのと同じ感覚である。おそらく撒いている人に、獣を誘引しているという意識はなく、純粋に猫のことを想っての事だと思うのだが、住んでいる私からしてみればたまらない。

 

猟期になると、私はその餌撒きポイントの近くに箱わなを設置し、誘引されたイノシシを捕獲する。あとは別荘地の林縁にくくりわなを設置し、仕事の合間を縫ってシカ・イノシシを捕獲している。ここで狩猟をするのは私1人だけで、別荘地な事もあってか他の狩猟者や有害駆除隊が入ることは殆ど無い。別荘地のため人が常在している家は6~7軒しか無く、そもそも被害を被っているのは、この別荘地で私だけかもしれない。この状況は、「獣に試されている」と捉えて、とことん闘ってやろうと思っている。


~田舎暮らしとは~

ここまで田舎の愚痴や問題ばかりをつらつら書き、このままでは田舎=大変で終わるので、最後に田舎の魅力を伝えておこうと思う。私が考える田舎の最大の魅力は、四季の変化を五感で感じられる事だと思う。四季があるのは日本だけでは無いが、それでも世界から美しいと言われる「日本の四季」を日常的に感じられることは日本人として最高の幸せである。

百人一首の中に「奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」という歌があり、現代語訳すると、「人里離れた奥山に、紅葉を踏み分けながら雌シカが恋しいと鳴いている雄の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる」となる。ちなみに「鹿」は、秋の季語で、ラッティングコールは昔から人の心を掴み秋を感じさせると共に哀愁を感じさせていたのだと思う。実際は、オスジカが縄張りを主張している血気盛んな声なのだが、ラッティングコールに哀愁を感じる人もいるのでは無いだろうか。紹介した歌のように、自然の変化から、季節を感じ、何かを想像するという事は、日本人が四季のある環境で生活することで培った感性であるが、大人になればなるほど薄れていってしまう気がする。私は日本人としていつまでも持ち続けていたい感覚だと思うし、田舎に住んでいるとそういう感覚を常に持ち・考えながら生活している様な気がしている。

この文章を書いている最中も、裏山でオスジカが鳴き、オスを嫌がる様にメスジカが警戒音を発している。秋は切なく儚い季節である。

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