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No.77 シカの冬の主食~ササのはなし

2003年01月発行
シカの冬の主食~ササのはなし
瀧井 暁子(WMO)

◆はじめに

暦の上では、1月に入ってから節分あたりまでがもっとも厳しい寒さになるようです。今年は例年に比べ冷え込みが厳しく、お正月休暇を終えて約10 日ぶりに仕事場である丹沢に入ってみるとすでに県道や林道は昼間でも凍結していてすっかり真冬の装いになっていました。これからますます冷え込んで、丹沢で暮らすシカにとっても最も厳しい時期になります。今年は、積雪も早かったので無事に春を越せるかどうかが気がかりです。

私は、現在主に丹沢山地で発信器を装着したニホンジカの追跡をしています。ロケーションをしている合間に、時には鼻先を地面に近づけながら餌を求めてゆっくり歩くシカの姿を見かけたりもします。こういうシカの姿を見られる場所は、林床が明るく常緑の植物はわずかしかないところが多いです。

私が丹沢に通いはじめた頃はすでにこのような状況だった場所も、「以前はひどいササ藪だった」という話をよく聞きます。もう有名な話ですが、丹沢では1980年代から1990年代にかけて東丹沢を中心に数千ヘクタールものササが後退したことが分かっています。詳しくは丹沢大山自然環境総合調査報告書(神奈川県1997)にかかれています。後退したこのササは「スズタケ」という種ですが、丹沢にはこのほかに(図1)主稜線近くにに生育する「ミヤマクマザサ」というササがあります。スズタケとは対象的にミヤマクマザサはシカなどの採食圧に強いため、冬期はミヤマクマザサの分布する高標高域でシカが高密度に生息するようになったということも分かってきました(山根 1999)。

草食動物であるシカの食事のメニューは、暮らしている場所の植生や季節によって変わる、ということは各地で調べられたシカの食性調査報告から分かってきました。シカは、コアラやパンダのように特定の植物種しか食べない動物ではありません。同じ丹沢でも標高によって植生が異なるので当然、シカの主食も変わってきます。

丹沢で最も標高が高い地域における越冬期のシカの主食はササです(三谷1995)。私は修士学生の時にこの地域でミヤマクマザサについて調べていたので、このササとシカの関係について一部ですが、今回は紹介したいと思います。

図1 調査地

 ◆ シカの採食に対するミヤマクマザサの適応性

調査は、設置後6年が経過した20m ×20mの植生保護柵というシカが進入できないフェンスの中と外のミヤマクマザサを比較して行いました。フェンスが設置してあるあたりは、ブナ林で林床はミヤマクマザサに覆われています。また、この地域のシカの生息密度は1996年12月で約32頭/km2(古林・羽山1997)と高く、これはミヤマクマザサが調査地を含む標高1300m以上の地域に広く分布しているためと考えられています。

まずササの形態についてみると、図のように中と外で大きな違いがありました(図2)。柵を設置後2年目も内外を比較した研究が行われていましたが、設置後6年目の方がさらにシカの採食による影響が明確になっていました。読者の中には、他の地域でこのようなフェンスを見たことがある方がいるかもしれません。一番先に目に付く違いはやはり草丈でしょう。70cm 以上も違います。他の違いをみてみると、採食圧を除去したミヤマクマザサ群落は、稈(地上に出ている茎のような部分)密度、全葉数が低下し、1枚当たりの葉面積が増加していました。1960年代には調査地を含む東丹沢山地の主稜線一帯におけるミヤマクマザサは高さ1m内外で繁茂していた(浅野・小滝 1964)そうなので、フェンス内のササはおよそ40年前の姿に近づいていることが想像されます。

次に、冬芽の付き方を見てみると、柵の中と外で大きな違いがありました。どうやらここに、ミヤマクマザサがシカの採食圧に強い理由があるようでした。過食圧のかかったミヤマクマザサ群落は柵内に比べて単位面積当たりの冬芽数は5倍近くあったのです。さらに地表から10cmごとに階層を区切ってみると、柵外では高さ20cmまでに冬芽の97%近くがありました。シカは上層部の葉を主として食べています。過食圧のかかったミヤマクマザサは、シカの採食圧から免れやすい形態に変化していたのです。

では、冬の間に葉を殆ど食べられたら光合成ができなくなり、枯死するのでは?という疑問もあります。ミヤコザサの物質収支を調べた人によると、強い採食圧のかかる前にすでに地下部に養分を貯蔵しているそうなので(県・鎌田1979)、冬期に葉部を除去されてもササにとってのダメージは小さいと考えられています。


図2 柵外と柵内6年目のミヤマクマザサ群落における 草丈、
稈密度、根元径、葉面積、全葉数、筍数の比較
縦軸は95%信頼区間、数字はコドラート数を示す.
柵外と柵内6年目のt-検定結果はすべてp<0.001.

  ◆シカの食物としてのササの価値

修士論文では、季節ごとの食物利用可能量(シカが実際利用している食物量)やシカの採食食物の栄養価(栄養成分、消化率)についても明らかにしましたが、長くなるので以下に簡単に説明します。

ミヤマクマザサ群落の食物利用可能量は、夏期にくらべ越冬期に圧倒的に高くなります。シカは夏期あまりササの葉に依存しません。また、ミヤマクマザサ群落はミヤマクマザサが密生しているために群落下層が暗く他の草本類があまり生育できません。このために、たとえ地上部の現存量(地上全体の重さ)が大きくてもシカの食物利用可能量自体は小さくなります。一方で冬期は、およそ126g/m2と高い値でした。丹沢山地の伐採跡植生2年目の食物利用可能量はおよそ200g/m2から330g/m2と報告されていますが(古林1995)、このような群落では冬期に多くの植物が枯死することを考えると、ミヤマクマザサ群落はもっとも量的に豊富にあるシカの食物といえるでしょう。

量が豊富にあっても、質が低ければシカにとって良い餌とはいえません。私が調査した高標高地域の冬のシカの食物は、ササの他に落葉、落葉広葉樹の当年枝、樹皮、単子葉草本、広葉草本(量的にはわずか)があります。シカにとって最も重要な栄養素である粗タンパク質含有率はこれらの食物のなかではもっとも高いグループに入っていました。

調査地の高標高域では、量的・質的な面を考えるとミヤマクマザサ以上に良質な食物は他にないということが分かってきました。そしてこれがミヤマクマザサにシカが集中する理由の一つと考えられます。とはいえ、ササはin vitro乾物消化率が低く、歯の摩滅を進行させるシリカという物質の含有量も他の植物と比べ突出して高いため決して最良の食物とはいえません。

丹沢でも標高の低い丘陵部では、アズマネザサというササがあります。けれども丘陵部には、広葉草本、単子葉草本、常緑樹といった食物も多くあるため、この地域ではササは比較的質の良くない食物グループに入ると考えられます。

まだまだ寒い日が続きます。主稜線もすっかり雪をかぶっています。先日、数年前に発信器を装着したシカを探しに稜線まであがってみました。日当たりの良い南・南東斜面だけ雪が解けてササがあり、少し薄くなったササ藪の中でそのシカは反芻していました。丹沢で最も標高が高い地域では芽吹きが始まるのは5月の連休があける頃です。その頃ちょうどササも新芽を展開させるでしょう。

〈参考文献〉

県和一・鎌田悦男1979 数種在来イネか野草の生態特性と乾物生産.日本草地学会誌.25(2):103-109.
神奈川県1997 丹沢大山自然環境総合調査報告書.
古林賢恒・山根正伸1997 丹沢山地長尾根での森林皆伐後のニホンジカとスズタケの変動.野生生物保護.2(4):195-204.
三谷奈保1995 丹沢山塊塔ノ岳のニホンジカの採食行動.東京大学大学院農学生命科学系研究科修士論文, 32p.
山根正伸1999 東丹沢山地におけるニホンジカ個体群の栄養生態学的研究.東京農工大学博士論文, 104p.

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