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No.82 旧暦と野生動物

2004年04月発行
旧暦と野生動物

奥村 忠誠(WMO)

 今日は西暦2004年4月7日である。昨年度調査のまとめもようやく終わりが見えてきた時期である。今、西暦という文字を普通に使ったが、この西暦が使われだしたのは実はそれ程古いことではない。

それは、突如として始まった。明治五年十二月三日が明治6 (1872)年1月1日に改暦になったのである。実際には、十一月九日の時点で改暦についての詔が出されたのだが、新年に向けて来年の暦は製造され、日本国民にとっても寝耳に水のものであり、まさに突如の出来事であった。政府内においても、鬼の居ぬ間に何とやらではないが、岩倉具視、大久保利通(内務卿)が海外使節団として不在の間に、大熊重信(大蔵卿)、福沢諭吉が改暦を断行したのである。

改暦の謂れは諸説あり、開国後であることから早く欧米列強に肩を並べるためや交易に都合がいいためともいわれているが、最も有力な説は、明治政府の財政難によるものである。江戸時代の年俸制から月給制に変更した明治政府は、明治六年は閏月の入る年であったため、13 か月分の給料を支払う必要があった。しかし、改暦をすれば、12か月分の給料で済む。また、12月に改暦を行うことで、12月分の給料も払わないで済むため、この時期にしたといわれている。日本では幾度かの改暦があったものの、六百四年以来、約1270年にわたって、この旧暦を使用してきている。そのため、長い間慣れ親しんだ旧暦での暮らしを捨て、新たな暦で生活することはなかなか難しいことで合っただろうと想像する。しかし、新旧の暦は何が違うのであろうか。

現在、西暦と呼ばれているものは正確にはグレゴリウス暦といわれるもので、いわゆる太陽暦である。グレゴリウス暦は地球が太陽を1周する時間を365.2425日とし、それを1年としている。そのため、4年で1日のずれが生じる。これが、閏年のある理由で、2月を1日増やすことで調整をしている。

それに対して、いわゆる旧暦と呼ばれるものは太陰太陽暦、その中でも日本で使われているのは天保暦である。そもそもは中国の農暦が元となっており、字のごとく農業のために作られた暦である。旧暦は、太陰暦を基本とし、それを太陽暦に合わせたものとなっている。そのため、月が地球の周りを29.53 日かけて1周する時間を1ヶ月とし、通常年はそれを12ヶ月で1年としているため、1年は354.36日となる。これでは太陽暦の1年とは11日近く違ってくるので、19年間の内の7年に閏月を入れることで調整をしている。そのため、閏月のある年は13ヶ月になり、1年は384日となるのである。今年は閏月の入る年で、まさに今日が閏二月十八日(4月7日)となっている。

閏月の入る季節は4ヶ月となるため、長い季節となる。旧暦の四季は月により決まっており、1月~3月を春、4月~6月を夏、7月~9月を秋、10月~12月を冬としている。つまり、現在は春ということになる。今年の春は、西暦に換算すると1月22日から5月19日となっており、例年に比べ春の入りも早い年である。今年の冬を思い出してもらえれば、頷けるかもしれない。また、旧暦は月の動きで日にちが決まっており、毎月一日は新月、十五日が満月となっている。つまり、月を見れば日にちがわかったのである。

時刻についても不定時法を使っていた。不定時法とは今のサマータイム制のようなもので、季節により一日の昼と夜の長さが異なっていた。これらの法則は太陽の高度で決められており、高度0 度で一日を昼と夜に分け、それぞれを6等分して、時刻を表した。昼は明け六つから暮れ六つまでとなっており、当時の人は日照を有効に使えるように、この時間で生活を送っていた。冬至の頃では明け六つ(昼の入り)は6時半、暮れ六つは(夜の入り)17時半頃であったが、夏至の頃にはあけ六つが4時、暮れ六つが20時となっていた。そのため、夏と冬では昼の時間が5時間も違っていた。昼の間中仕事をしていたわけではないだろうが、江戸時代の人たちは働き者で、夏には朝早くから夜遅くまで仕事をしていたようである。旧暦は実に自然を活かした生活スタイルであったため、改暦時には農民による新暦反対一揆が起こるほどであった。このことからも、旧暦と不定時法が農民の生活の基盤になっていたことが伺える。

さて、旧暦についての説明が長くなったが、これが動物にどのように関係するのであろうか?

先にも述べたように、旧暦時代には不定時法という尺度で毎日の生活を送っていたが、新暦になってからそれが廃止され、現在と同じ時刻基準となった。この変化が鳥獣害の増加につながったのではないかと推測している。日本では、農耕文化が始まって以来、鳥獣との戦いが始まったといわれているが、被害が拡大してきたのはここ数十年の間である。農業被害対策として、昔からシシ垣やシシ土手などが作られて田畑への侵入を防いできたし、番小屋を作って、見張りも行ってきた。しかも、この見張りには手当てが出ていたらしい。しかし、明治に入ると、手当てが減少したことと、改暦による不定時法の廃止により、農家の人々が畑に出てくる日が減少し、時間が遅くなったことで、シカやイノシシの活動が活発な薄明薄暮の時間帯に、人が畑にいないことが多くなり、被害の増加につながったと推測する。

また、旧暦が農暦を元にしていることからも分かるように、その季節を反映した暦となっている。当然、動物も季節に合わせた行動をとっているので、旧暦で考えるとわかってくるものがあるのではないだろうか。

例えば、シカが越冬地へ移動を始めるきっかけは何によるのか、クマが冬眠を始めるきっかけと冬眠から明けるきっかけは何なのか、などは昔から議論されてきていることであるが、シカについては気温や積雪や採食可能量、クマについては、これらに加えて生理的要因などが影響しているのではないかといわれている。これらの要因の多くは季節変化である。我々が調査をし、年次変化を考える場合には当然のように西暦で考える。例えば、春の行動圏は、西暦の4 月から6月として年次変化を比較するといった具合に。しかし、動物からみた春は毎年変わっているため、比較しているようで実はうまく比較ができていないということがある。それを単純な形でうまく表しているのが旧暦であると思う。今まで、季節間で差がみえにくかったことも、旧暦を使うことで違いがみえ、その要因もわかってくるのではないかと思っている。我々、動物を扱っている者にとって、旧暦で考えることは、野生動物を理解するための一歩になるのかもしれない。

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