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No.85 サルの「川干し」

2005年01月発行
サルの「川干し」

泉山 茂之(WMO)

 

     信州の伊那谷では、サルの「川干し」の話しを、幾度となく聞きました。サルの「川干し」とは、サルたちが渓流の石を積んで、水の流れを変えて川を干す、 という仕事のことを云います。サルたちは、干した河原に残された魚などを獲ることができます。サルたちが、ほんとうに川魚を食べるかどうかは別にしても、 そんな光景を一度は見てみたいものだと、私は想っていました。

サルたちの生き方は、「自分のことは、自分が責任を持つ」、ということが基本です。自身が得た食料は、母ザルさえもコドモに与えることもありません。コド モといえども、他者をあてにはできず、食物は自身で見つけなくてはなりません。外敵が来たときは、「クワン」という警戒声で、みんなに危険を知らせたりも しますが、チームワークが求められる仕事がとても苦手のように思います。そんなサルたちが、「川干し」をこなすためには、よほどの努力が必要のように思え てなりません。ところが、サルたちについて歩くなかで、いくつかヒントが見つかりました。これから、「川干し」の謎あかしをしてゆきたいと思います。

舞台は上高地に移ります。上高地に棲む「明神群」は総勢70頭、梓川の流れを挟んで生活しています。上高地の気候は厳しく、年間の最低気温は-25℃に もなります。冬季の主食はササの葉・冬芽、ハルニレやヤチダモなど落葉広葉樹の冬芽や樹皮などです。積雪が多く、寒気の厳しい時期には、サルたちは採食物 の傍らで泊まるようになります。上高地の盆地を取り巻く山々は、多くが濃緑色の常緑針葉樹林に覆われています。食料のある落葉広葉樹は、梓川の流れに沿っ た河辺林にしかありません。そして、屏風のようにそそり立つ穂高連峰からの湧水には、イチョウバイカモやクロカワゴケも見られます。流れの縁は雪も積もる ことはなく、水流の横には緑のササの葉が顔を出しています。近年は暖冬が続いていますが、1月から2月にかけては、ふかふかの新雪がどんどん積もってゆく ため、サルたちの動きは年間で最も鈍くなります。寒気がきつく、季節風が強い吹雪の日は、全く動かない日すらあります。

寒気が厳しい上高地でも、3月に入ると光の春を感じるようになります。ケショウヤナギの冬芽がなんとも赤く感じるようになると、サルたちも少しばかり活動的になります。良く晴れた日が続くようになると、積雪が日に焼け、新雪が締まってゆきます。ざらざらした、ザラメ雪は堅く、サルたちも雪に埋まることな く移動できるようになります。3月に入ると、サルたちの移動は、枝づたいの樹上移動から、地上(雪上)移動が多くなってゆきます。この頃、サルたちの手足 は、あかぎれやひび割ればかりで、満身創痍で痛々しい限りです。でも移動して、サルたちは、梓川に向かうことが多くなります。サルたちにとって、川に行っ た方が良いことがあるからです。

川でのサルたちを写真に示しました。サルたちは、水にどっぷりと浸かって、何やら仕事に熱中しています。サルたちは、手足が「かじかむ」ことはないか、心配です。実は、外気温は氷点下なのですが、水温は数度あって、水の中の方がずっと暖かなのです。

松山義雄著「続 狩りの語り部」(法政大学出版局)には、信州の伊那谷のサルの「川干し」の話しがあります。

「・・・六月頃から夏の終わりにかけて、サルの群れには、渓谷の河原で暮らす時間が多くなる。ここには魚もおれば虫もいて、食べ物稼ぎにことかか な いからである。それに三センチ大の石をかかえて、水垢をねぶる(なめる)だけでも、おなかをこやすことの便利さもある・・・」

上高地では、サルたちが川に入るのは早春の一時期だけです。伊那谷とは「川干し」の時期が違います。夏の上高地のサルたちは、アルプスの山登りで、お花畑での生活です。著者の松山義雄氏は、サルの「川干し」を実際に見たのかは定かではありません。また、サルが魚を食べたかどうかについては言及はありませ ん。

「・・・遠山谷の和田付近では、猿のことを『石屋づくりの若い衆』と呼び、猿の忌詞に用いている。石屋とは石工のことで、河原に出て遊ぶ猿の姿が、大きな石の間にみえがくれするのを見ていると、石を見立てて河原をあちこち歩く、ほおかぶりした石屋の若い衆そっくりに見えるところから出た言葉である・・・」

忌詞とは、「サル」は「去る」に通じるので、「サル」とは呼ばずに、別の呼称を用いるということです。上高地のサルたちは、確かにでっかな石も、「よっこいしょ」と、ひっくり返しています。『石屋づくりの若い衆』に見えないこともないでしょう。ただ、積んでいるようには見えないですが・・・。

「・・・猿が河原に石を並べて積むのは、堰を造って河水の流入を断ち、河原の一隅に小さな、いわゆる干拓地を造るのが目的である。この作業を川干しと呼んでいる・・・」

サルたちは、はたして『干拓地を造る』という目的を持って、石を積んでいるのでしょうか。目的を持って、石を積むためには、親方がいて職人さんがいて、チームワークが必要に思います。でも、サルたちはそれぞれ、まったく別の仕事をしているとしか思えません。

「・・・川干しは、本流以外ならできる仕事で、水の引けた河床には泳ぎのできなくなった魚類がからだを横たえている。それを拾い上げるのが、川干しという 漁猟方法である。嘉一郎さんという猟師が俯瞰した猿の群も、この川干しをするために石を運んでいたもので、この時猿が拾い上げた魚を食べるのを、この人は、たしかに見たというのである・・・」

確かに見た、と言われたら、反論のしようがありません。確かに、梓川にはイワナがたくさんいます。湧水の川では、水温が高く真冬にも魚影が見えます。ただ、私はサルたちが魚を食べているのを目にしたことがありません。

ところが、別の意見もあります。

「・・・実証派猟人の銀弥さんは、川干しとは言っても、猿が川ぶちの落ち葉ををかきあげて水をにごます程度のいたずらで、落ち葉に着いている川虫を食べたい一心でする仕事であるし、また夏冬を問わず川石を裏返したり、抱き上げたりするのも、堰を造るためではなく、石に付着している川虫や水垢を食べたり、ねぶったりするためである。どだい猿には、川を干したり魚をとったりするような、高度な知能もこまやかな技術もそなわっていない、というのである・・・」

この話しは、かなり正しいのかも知れませんが、一寸、夢がしぼむようで、残念でもあります。サルたちは、やっぱりチームワークが苦手なのでしょうか。

上高地のサルが、早春の一時期に「川干し」をするのには、深い理由があります。それは、水生昆虫の生活史に深く関わっています。早春の一時期は、かれら にとってとても重要な時期です。これから、繁殖のために、地上に飛び立ってゆきます。ところが、かれらは水中から飛び出す直前にサルたちの餌食になってし まうのです。全身に力を蓄えた時を狙って、サルたちは食べてしまうのです。

早春は、秋の貯金も使い果たし、みんな満身創痍です。そんなサルたちにとっては水生昆虫は重要な食料です。樹皮や冬芽よりも消化が良いのかも知れません。カワゲラを口にしたサルは、ちょっと嬉しそうな顔をしているように見えませんか。

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