No.90 続・仙台のニホンザル
清野 紘典(WMO)
2006年3月10日・11日、京都大学霊長類研究所において共同利用研究会「野生霊長類の保全生物学」と題した研究会が開催されました。学生時代に共同利用研究にお世話になっていたこともあり、研究発表を行いました。
発表の内容は、仙台市に生息する野生ニホンザル群の生態についてでしたが、今回そのすべてを紹介するには限りがありますので、『Field Note No.75』で森光(WMO)によって報告されている「仙台のニホンザル」(p7-11)の続編として、仙台のサルとそれらを取り巻く現状について報告し、発表の報告に換えさせていただきたいと思います。
◆仙台のサル1999年
仙台市においては1980年代より宮城のサル調査会によって断片的なニホンザルの生態調査が行われていました。そして1999年に同会により仙台市に生息する群れの分布の概要が明らかにされました。仙台市は太平洋から奥羽山脈脊梁まで東西に約50kmと長く延びていますが、山形県との県境に程近い仙台市西部地域にサルの分布は集中しており、7群の生息が確認されました(宮城のサル調査会、1999)。図1に当時の群れの分布域を示します。
宮城のサル調査会(1999)の報告によれば、7つの群れの個体数はそれぞれ、定義の群れ:20~30頭(推定)、関山峠の群れ:29頭(足跡カウント)、奥新川B群:34頭(足跡カウント)、奥新川A群:123頭(累計)、二口の群れ:55頭(推定)、高倉山の群れ:45頭(足跡カウント)、秋保大滝の群れ:45頭(推定)と示されています。これらを合計すると群れに属する個体だけで当時約360頭のサルたちが生息していたことになります。
また、1980年代から奥新川A群をはじめとして一部の群れでは農作物への加害が認められており、1999年当時には当該地域の社会問題にまで発展していました。行政が重い腰をあげ、ようやく猿害対策に乗り出したのもこの頃でした。
図1 仙台西部に生息するニホンザル個体群の群れ分布1999年
(宮城のサル調査会(1999,2005)を一部改変)
◆膨らみバラける群れ、山から川を下る群れ、変わらない群れ
1999年から6年後の2005年までに仙台西部で行った一斉調査と継続的な一部の群れの追跡調査の結果は、仙台の7つの群れがそれぞれに過ごした6年という歳月を色濃く現すものとなりました。
2005年までに明らかにされた群れ分布の様子を図2に示します(Sendai Monkey Club、未発表資料)。分布情報の一部は、仙台市からのサル位置情報お知らせシステム(Sendai Monkey Club ホームページの掲示板情報)から得ました。また、図3と図4に分布変化の様子を鳥瞰図で現しましたので示します。さらに、個体数と群れ数の変化を図5に示します。
図2 仙台西部に生息するニホンザル個体群の群れ分布2005年
図3 群れ分布1999年 鳥瞰図
(市街地上空から奥羽山脈を眺めた。地図上右手が北方向)
図4 群れ分布2005年 鳥瞰図
(市街地上空から奥羽山脈を眺めた。地図上右手が北方向)
市街地にもっとも隣接して生息しており、広瀬川・名取川のそれぞれの水系の群れ分布下流域に生息していた「奥新川A群」及び「秋保大滝の群れ」は、1999年当時より個体数を増加させ分裂しました。奥新川A群に限っては2度にわたり分裂を繰り返し、はじめの分裂では分裂群がもともとの生息地である仙台市から松山町・鹿島町両町の町境付近に短期間で50km以上も移動し、飛び地して定着したと推測されました(伊沢、2003)。分裂群が定着した集落では降ってわいたサル騒動で一時騒然となったようですが、現在では有害駆除を中心とした被害対策が行われているようです。2度目の分裂は去年起こり、70頭程度の群れ(奥新川A1群)と30頭程度の群れ(奥新川A2群)にわかれました。互いの行動圏は、今のところ大きく重複していますが、A2群のほうが広瀬川の下流域、市街地方向に積極的に進出しています。
秋保大滝の群れは2004年までに分裂が確認されましたが、分裂した2群の個体数は不安定で、群れ間でのメンバーの入れ替わりが起きているようです。分裂後、より下流域に行動圏を構えた秋保大滝A群は、一息で名取川下流に東進し、もはや秋保の温泉街に目と鼻の先のところまで来ています。
二口の群れや高倉山の群れは、6年間で個体数を倍近くまで増加させ、行動圏が次第に下流方向へと移行しつつあります。関山峠の群れや定義の群れは、個体数はさほど変わりませんが、行動圏が先の2群のように下流域へとシフトしてきています。このように仙台西部の群れの特徴として、群れが年々山間部から大きな河川(広瀬川・名取川)を下ることによって、より市街地方向に分布が移行していることがあげられるでしょう。
一方で、奥新川B群にみられるように1999年から個体数、行動圏とも大きな変化はなく安定した状態でこれまで推移している群れもいます。
1999年と比べると群れ数は7群から9群に、個体数は約360頭から約430頭に増加しました(図5)。個体数に関しては、群れの頭数のみしか数えられていませんので、オスとメスが平等に生まれてくると仮定して、群れ周辺に生息するハナレザルやオスグループを加味すれば、仙台に生息するサルの総数はさらに多くなるものと思われます。このように群れ数・個体数とも増加傾向にあり、仙台西部に生息する個体群は保全上良好な状態にあるといえるでしょう。しかし、サルの行動や生態は年々様変わりしており、必ずしも健全な状態にあるとはいえません。
図5 仙台西部に生息するニホンザル個体群の個体数・群れ数変化
(1999※:宮城のサル調査会(1999))
写真1 堰堤でくつろぐサル、河川が完全に
移動経路になっている(奥新川A群)
◆人を怖がらないサルたち急増
近年の仙台のサルは、人に対する反応も大きく、そして急速に変わってきています。これまで、山中で出会っても私の姿を見れば逃げていくサルたちが、今では私を威嚇することも稀ではありません。奥山に生息するサルに限って人なれが進行しているという不可思議な現象も起きています。1980年代に宮城サルの調査会の報告で、姿を見ることすら困難であった奥山の幻の群れが、今では私の頭のすぐ上や足元を通過していくというのが現状です。
サルのすむ奥山には、登山道や林道が整備され、市民が気軽にリラクゼーションを楽しむことができるようになっています。また、奥山まで入りこむ手前には作並や秋保の温泉宿や観光スポットなどが点在し、地域に住む住民以外の都市部からの人の出入りが頻繁に行われています。1980年以前までは、ほんとうに深い奥山に歩いていかなければ観察することができなかったであろうサルたちに、今では車を少し走らせれば簡単に目にすることができる状況にあります。心ない観光客や登山客によってサルに餌が与えられていた可能性も否めません。おそらく、このような現状がサルの人なれを助長する原因の一つになっていることは間違いないと思われます。
当たり前のことですが、山野にくらす野生動物にペットなどの飼育動物と同じ要求を求めることがいかに不健全なことであるかを、特に都市部に住む方々に今一度理解を求めていかなくてはなりません。誰かの手から渡される餌の先には、誰かの畑や家から食べ物をとる嘆かわしいサルの姿が透けて見えています。
◆行政も地元も動く、しかし・・・
仙台市におけるサルの被害は、果樹生産地などのように換金性の高い農作物が被害を被っているのではく,そのほとんどが自家消費する目的で栽培されている農作物です。ですから、地域住民が感じる「猿害」のほとんどは金額的な被害というよりもむしろ精神的な被害によるところが大きいと思われます。近年では一部の群れの行動圏の拡大や移行によって積極的な集落への出現がみられ、農作物被害地が拡がる傾向にあります。これに対し仙台市は,平成11年に「仙台市西部地域ニホンザル保護管理検討部会」を設置し,平成12年に仙台市西部地域ニホンザル保護管理計画を策定しました(同内容については『Field Note No.75』森光の報告に詳しい)。その計画をもとに、同市により一部の群れでは継続的な追い払い事業や地域への被害防除指導、接近警報システムの導入などが行われました。
写真2 頬袋いっぱいにカキを詰め込むサル(奥新川A群)
しかし、被害地が拡大する最前線に住む地域や被害が慢性化している地域の方々の必死の追い払い活動や被害対策も空しく、サルは年々悪行を極め被害を拡散させています。これまでまったくサルに対し警戒していない集落では、まさに寝耳に水の事態が起きており、サルの被害に対する意識や行動がサルの生態に追いついていないといった状況です。被害が広がり定着しつつある地域にすむ方々に、何か伝えなければと働きかけても「抜本的な対策を!」「殺してしまえ!」といった言葉が何度となく耳に入りました。ただし、仙台市はまだ有害駆除による対策に踏み切っておらず、おそらく地元の方による秘密裏な駆除もいまのところ行われていないと思われます。無計画な駆除が行われていないこと、そのことが救いの綱となっています。
現在では、宮城県の策定した特定鳥獣保護管理計画に沿って新たな取り組みが展開され始めています。どのような方向に向かうのか、現場から少し離れた今はただ注意深く状況を見守ることしかできていません。
◆さいごに
仙台ではサルだけではなく他の哺乳類の近年の動向も気がかりです。私が調査を開始した2000年頃に比べ、近頃は大型哺乳類の姿や痕跡を里や田畑で見かけることも多くなりました。以前は、ほとんど見ることがなかったクマやイノシシを調査中に見かけるということもしばしばあり、まさしく忍び足で着実に動物たちは人の生活圏に近づきつつあります。一度、調査中に驚いたことがあります。道路を渡るサルの群れをカウントしている途中のことでしたが、「・・・オトナオス、オトナメス、3才オス、2才メス、!!!、・・ク、クマ!(冷汗)、オトナオス(サル)・・・」、なんとサルの群れといっしょにツキノワグマ1頭が道路を横断していきました。クマと群れが道路を横断したのは集落の端でしたが民家と民家の間です。その後、その地域でクマの被害や出没情報が頻繁に耳に入るようになりました。
これまでイノシシなどいなかったある集落では、田圃の畦道を掘りかえしたイノシシの痕跡があちこちで見られるようになり、2004年の夏にはその集落沿いの川で、複数のウリ坊たちが水しぶきをあげて走り去っていくのを調査中にはじめて観察しました。
全国的な例にもれず、仙台も過疎が中山間地域の問題となっており、動物から受ける圧力に精神的・肉体的にも耐えうる地域の体力が失われつつあり、地元の山や自然との付き合い方を知る人々が少なくなっていく現状にあります。これから起こりうる事態を予測できる数少ない人間が、出来る限りのことをしていかなくてはならない深刻な状況です。これからも、仙台に住む人と野生動物たちとのゆっくりと、しかし確実に変わりゆく関係を見つめ、より良い関係作りのために力添えできていければと思います。
〈参考文献〉
伊沢紘生(2003) 鳴瀬川右岸に沿いに東進した野生ニホンザル集団の由来を追って.宮城県のニホンザル.
15:1-26.
宮城のサル調査会(1999) 仙台市西部地域ニホンザル生態調査
宮城のサル調査会(2005) 平成16年度 宮城県ニホンザル生息状況調査
Sendai Monkey Club(未発表) 2004年度 仙台西部地域冬季ニホンザル生息調査
Sendai Monkey Clubホームページ http://homepage3.nifty.com/monkeyclub/
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