No.93 イノシシの牙
岸本 真弓(WMO)
今年はイノシシ年。
いろいろなイノシシの年賀状をいただいた。かわいいイノシシ、リアルなイノシシ、勇ましいイノシシ。ブタとの違いは粗い毛と、鋭くむいた牙のようだ。それが一般の人が抱くイノシシの姿なんだろう。
だが、実際にはイノシシの牙はオスの成獣でしか目立たない(写真1,2)。それにサイの角のように前に突き出ているのではなく、後ろに湾曲している。正確に言うと、前に弧を描くように湾曲し、先端は斜め後ろを向いている。これは下の犬歯で、不思議なのは上の犬歯も同じようにカーブしていることだ(写真3)。そして全体的に外側に反っているため、口唇からはみ出ている(写真4)。
上の犬歯と下の犬歯、大きさや形も異なるが、その表面の材質感も大きく異なる。下の犬歯はすべすべで、断面は三角で角はすべて鋭いナイフのようだ。一方、上の犬歯の断面は半円で、下の犬歯と接する平面の部分は荒削りな平らだが、半円になっている部分は上にねじあがっていくためか細い幾本もの線条の凹凸がある(写真5)。鋭くスルリと伸びる下顎犬歯と、上を目指して力を込める上顎犬歯、生き方の違いを見るようだ。
イノシシの歯のうち犬歯だけは他の歯と違って常生歯である。常生歯とは、一生の間歯冠(歯茎より上にでている部分)が形成され続け、歯根(歯茎の中に埋まっている部分)が形成されない歯のことである(写真6)。ウサギやネズミの切歯(前歯)やゾウの牙状切歯(いわゆる象牙と呼ばれる牙は実は切歯)などもそうである。違法採集された象牙の映像を見ると鉛筆のキャップのように根本が空洞になっているのを思い浮かべてもらうといい。
歯根を持たないけれども抜けないようにするためか、ネズミの切歯もそうであるように、イノシシの犬歯も深く深く顎骨の中に入り込んでいる。数多く見たわけではないが、特に下顎犬歯は外界に出ている長さと同等かそれ以上が骨の中に埋まっているように思う。だから、半円を描くほど長い(写真7)。このカーブとなめらかさとそして鋭さはあまりに美しく、イノシシの強さに対して敬意を抱き、その強者と戦った誉れがあれば、狩猟者が装飾品にしたくなる気持ちはよくわかる。6年前台湾に行った時、原住民族の方々の居住地のお店で帽子に飾られたイノシシの犬歯をいくつもみた(写真8,9)。野林(2001)によれば、台湾原住民族にはイノシシの狩猟の際名誉の負傷をした者だけが装着できる「ヒシノフズ(ヒシは歯、フズはイノシシを意味する)」という飾りがあるという。牙の湾曲を利用して腕輪として飾るものだ。
今は狩猟期の真っ最中。今年のイノシシ猟はどんな具合なのだろうか。昨年度は捕獲個体の年齢構成を調べるために関西分室には続々とイノシシの頭骨が届いた。イノシシはすべての歯が生えそろうまでに3年かかる。下顎の最も奥にある第3大臼歯がきれいに生えていれば3.5歳以上である。犬歯が乳歯なら0歳。その間、各年齢の特徴を抑えていれば年齢がわかる。
届いた頭骨は頑固者のように固く口を閉じている。筋肉と腱を上手にはずし口を開けて歯を診る。3.5歳以上で歯の萌出だけでは年齢のわからない個体はクマやシカと同様に組織標本にして年齢を査定するが、その割合はごくわずかである。りっぱな飾りにできるほどの犬歯を持つ個体は少なかった。
イノシシの管理は狩猟管理と被害管理が主となろう。イノシシ肉と猟の醍醐味を知る良質な狩猟者がいる限り持続可能な狩猟がなされると思う。被害を減少させるためだけにイノシシを捕るのは効率が悪い。被害減少のためにはイノシシに入られない柵を設置すればよい。シカやサルに対する方法よりはずっとオーソドックスな方法があるし、実績がある。
ナイフのように鋭くしなやかに伸び続ける上の牙、大地を踏みしめ太陽に向かう力強い下の牙、二つが寄り添ってイノシシという動物を作り出す。そんなイノシシがいつまでも山に居て欲しいと願う亥年が始まった。
写真1: オス成獣の頭骨 |
写真2: メス成獣の頭骨 |
写真3: オス成獣の上下犬歯拡大 |
写真4: オス成獣の頭骨先端を上から見たところ。右下顎犬歯は折れている。 前方(写真では上方)が下顎犬歯。 |
写真5: オス成獣上顎犬歯を腹面から見たところ |
写真6: オス成獣犬歯(歯根部)がないのがわかる) |
写真7: 写真6と同じ犬歯を並替 |
写真8: 台湾の民芸店で見つけた飾り(甲の月飾りのようなところが下顎犬歯) |
写真9: 飾りをつけた原住民族 (台湾の絵葉書より) |
参考資料
野林厚志「台湾原住民族ツォウとイノシシーイノシシ狩猟の社会的位置づけー」p.79-100
高橋春成編「イノシシと人間 共に生きる」古今書院2001年pp.406.
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