No.94 2006年クマ大量出没が語るもの
2006年クマ大量出没が語るもの
片山 敦司(WMO)
2007年2月9日~11日、日本クマネットワーク(JBN)が主催する「緊急クマワークショップ」と「緊急クマシンポジウム」が東京で開催された。前者はJBN会員と行政担当者など、クマ問題の前線で格闘している人々が、2006年度のクマ大量出没の原因、対策、課題等を総括し、今後のクマ類の保護管理の方向性をJBNからの提言という形でまとめあげるというもの。後者は、一般向けのシンポジウムで、「人里に出没したクマをどうするのか?・人里に出没させないための方策は?-2006年ツキノワグマ捕殺数4千頭、未来にクマを残せるのか?-」というタイトルの通り、クマ類の保護管理の現状と課題を広く社会に問いかける内容となった(詳細はJBNのホームページhttp://www.japanbear.org/参照)。
この一年、私は関西分室の一員として、主に近畿地方で発生したツキノワグマの出没対応に携わってきた。JBNのシンポジウム・ワークショップは、自治体の担当者・研究者の方々から、各地域におけるクマ問題の実態を聞き、どのような体制で問題解決のための努力が行われたかを知る良い機会になった。地域による状況の差は大きいが、クマ問題に対処する人の悩みには共感できる部分が多い。この1年、こんなことがあった、あんなことがあったというエピソードを聞くと自分たちが行ってきたことの反省点も見えてくる。さてさて、この1年はどうだったか、振り返ってみよう。
クマ注意報発令
2004年の大量出没時は忙しさにかまけて、世間で起きているクマ関係の情報を整理できないままに1年が暮れた。その反省からクマに関するニュースをwebで収集して蓄えようと思い立ち、2006年の5月4日から情報を蓄え始めた。
記録を読み返すと、春先の新聞にはこんな記事がある。・・・・『2004年夏から秋、各地で人里へ近づき、騒ぎを起こしたツキノワグマの姿が昨年秋は大幅に減った。相次ぐ台風で山の餌が不足した04年に比べ、昨年は全国的にドングリが豊作だったからという見方が強いが「過度の駆除で山からクマの痕跡が消えた。このままでは絶滅する」と憂慮する声も出ている』(3月4日共同通信)・・・・確かに2005年度はクマの出没数が少なく。クマの絶滅を心配するも声も多かった。
しかし、クマの食物となるドングリを調べている研究者からは、今年は出没の要注意年だという情報も出されていた。3月20日には岩手県で、30日には秋田県で「クマ出没注意報」が出された。注意報を出した自治体はまだまだ多くある。以下は岩手県のホームページに掲載された一文である。・・・『平成18年は、ブナ堅果等の凶作が見込まれ、例年よりもクマによる人身被害や農畜産物被害の増加が危惧されると専門家が予測していることから、県では、(中略)「ツキノワグマの出没に関する注意報」を発令し、被害の未然防止を図ることとしました。』
2006年度に出没数が増えるおそれは早くから指摘されていた。しかし、出没注意報が有効に機能したかどうかについては、議論が分かれるところである。
4月~5月 山菜採り時の人身被害が発生
毎年、春から夏の時期には山菜採りの目的で多くの人が入山する。そのために、クマとの遭遇による人身被害も多い。4月18日福井県、5月4日秋田県、5月5日富山県・・・東北・北陸地方では今年も多くの人身被害の情報が続く。近畿地方では、出没情報は例年並みである。局地的に養蜂被害などが発生し、学習放獣の要請があり、錯誤捕獲がたまに発生する程度。
6月~8月 クマ研究者の話題は国際クマ会議へ?
2006年10月には、長野県で第17回国際クマ会議が開かれることになっていた。アジアで初の国際クマ会議の開催であり、夏場からクマの研究者の多くは会議の準備に忙殺されることになる。
7月14日の毎日新聞記事では、山形県の状況を以下のように述べている。・・・『県内で今年、人里へのクマの出没が相次ぎ、昨年に比べ2倍に増えている。9日には西川町でタケノコ採りの男性が右手の指をかまれる重傷を負い、県内で人が襲われた今年初めての被害となった。専門家は餌となるブナの実が凶作になる見込みのため、出没が増えた可能性があると推測している』。2005年度の出没が少なかったことから、この段階で2006年の現状を深刻に受け止める人はまだ少なかったようだ。
関西分室では、8月14日から21日の間に錯誤捕獲の対応の要請が6件あった。しかし、我々にはたまたま対応要請が重なっただけなのだろうという程度の意識しかなかった。その時は知らなかったが、実は長野県や石川県など中部・北陸地方以北の県では8月からクマの出没数が増加し始めていた。
8月下旬になると出没数の急増が世間でも認識され始めた。宮城県では24日に県内で3件目の人身被害が発生。毎日新聞8月25日記事では『猟友会の男性(S”>57)は「今年は例年の7、8倍もクマが出ていると聞いた。ここは通学路の近くなので、子供が襲われないように気をつけなくては」と話した。』という文章が見られる。
9月 大量出没始まる
9月6日には大館能代空港(秋田県)の滑走路にクマが侵入して話題になった。9月20日には長野県で通学途中の中学生がクマに襲われて重傷を負うというショッキングな事故も発生した。
9月初旬には京都府も出没情報の増加を受けて注意を呼びかけ始めた。京都新聞9月7日記事では『府内の今年4月から8月末までのツキノワグマ目撃件数が、前年の約1.5倍に達している。目撃が相次いだ2004年度も上回るペースで、府は注意を呼びかけている。8月末までの目撃件数は府内全体で計194件(前年度同期127件)。1年間に718件の目撃があった04年度の同じ時期(145件)よりも多くなっている』と書かれている。
ちなみに、関西分室では9月2日から21日の間に近畿・中国地方の府県から12件の捕獲対応の要請があった。以後、約10日間の沈黙があった後、大量出没・放獣対応が始まる。
10月~11月 国際クマ会議開催。大量出没は極大期へ向かう。
10月1日には北海道、岩手、新潟、岐阜の4道県で人身被害が同時に発生した。その翌日より長野県の軽井沢町を会場に国際クマ会議が開催された。会議は、アジア、欧米を主とする37カ国から計347名参加者を集めてクマ類の保護管理のための活発な議論が行われた(詳細は、日本クマネットワークの機関誌、Bears Japan Vol.7 No.3で詳しく報告される)。
私も会議に参加し、Indiscriminate capture of Japanese black bears by the snare traps or the box traps for wild boars in Kinki region(近畿地方におけるツキノワグマの錯誤捕獲の発生状況)というタイトルでポスター発表をした。この発表は、1997年から2005年にかけて、近畿地方(一部に鳥取県を含む)で錯誤捕獲の通報をもとに行われた放獣対応事例について、わな別の発生数、時期、環境等を分析したものである。図1に示すように、錯誤捕獲は11月をピークとした秋季に集中して発生している。当然のこととは言え、皮肉な現象として、国際会議での発表内容をなぞるように、2006年の大量出没・放獣対応件数も秋の深まりとともに数を増していった。
国際クマ会議から関西に戻った次の日(10月7日)から12月26日まで、80件近くの放獣対応の要請があった。要請に対しては、関西分室所属の濱崎、岸本、横山、清野、加藤らとチームを組み、可能な限り迅速に対応できるよう努力した。
図1.近畿地方における錯誤捕獲の原因(わな種類)別発生時期(1997-2005)
〔katayama,2006を改変〕
家屋侵入事例の対応
10月半ばになると、クマが家屋に侵入する事例があちらこちらで聞かれた。10日に石川県で、17日に滋賀県で市街地内にクマが入り込んで騒ぎになった。
クマ問題で最も重要なことは、人身被害をなくすことである。出会い頭の事故は防ぎようがない場合があるが、クマの存在がわかっている場合には絶対に事故を起してはならない。市街地に入り込んだ場合の対応を求められる時には常にそのことを頭に入れている。
家屋侵入事例の一つを紹介しよう。『ツキノワグマの出没がA県内で先月から相次ぐ中、B市で17日、住宅地にクマが現れ、住民と警察官の2人が重軽傷を負った。(中略)クマは同日午前6時半ごろ、同市C町の無職男性(65)方に侵入、追い払おうとした男性が軽傷を負った。いったん逃げ出したが、その後、付近を捜索していたB署地域課の巡査(25)が、別の民家の倉庫から飛び出してきたクマに襲われ、左手指を折るなどの重傷を負った。ほかの署員がこの倉庫に一時閉じこめた(後略)』〔京都新聞10月17日(地名は記号化)〕という例である。
この例では、市街地の中心部に(少なくとも身体的には)健常なツキノワグマの成獣が入り込み、事故を起こしている。これまでに我々が経験した家屋侵入例は、心身ともに未成熟な幼獣や亜成獣(3歳以下)、身体的機能が損なわれた個体(疾病・交通事故等が疑われる)に限られたがこの場合は違った。
多くの府県が作成している「出没対策マニュアル」(またはそれに類する基準)によると、人身被害を起こした個体は、危険性の高い個体として排除の対象となる。そのような個体を生み出さないよう、最大の努力が払われるべきなのであるが、実際に被害が発生してしまった場合は殺処分もやむを得ないと考えられる。上記の例では、(1)市街地内の2階建ての倉庫に侵入し、建物の中のどこにクマがいるのかわからないという状況(2)倉庫から100m程度の範囲で規制線が張られていたものの、周囲を多くの人が取り囲んでいる状況(3)市街地内であり、殺傷力の強い銃器を使用できない状況、などがあり難しい対策を迫られた。
対策としては、倉庫内に捕獲檻を仕掛け、倉庫を完全に封鎖して捕獲されるのを待つか、細く開けた窓や扉の隙間から麻酔銃で狙い、麻酔薬により不動化する。という2つの方法が考えられた。前者は状況によっては安全性の高い方法と考えられたが、捕獲檻の設置が困難であり、捕獲されるまでに長時間を要する可能性があることから選択肢から外れた。となると、残りは後者の方法しかない。自然と出来上がった対策チーム(自治体・警察・WMOの片山・加藤)で麻酔銃捕獲の段取りを確認して作業が始まった。
二階建ての倉庫の中には軽トラック、農機具など視界を遮る物品が多くあった。窓やシャッターを細く開けてはクマの姿を探すことを繰り返したが、倉庫内は薄暗く、クマの隠れ場所もたくさんあって姿を確認することができなかった。そこで、視界を遮るものの除去にとりかかった。窓から半身を乗り入れ、倉庫内に立てかけられた板やパイプ類などを少しずつ取り除き、視界を確保するという作業を地道に繰り返した。しかし、30分ほど経過してもクマの姿は確認できず、焦る気持ちが高まってきた。
これではいけないと思い直し、対策チームを招集して仕切り直しをした。今度は一階にある車庫のシャッターを40cmほど開け、腹這いになって匍匐前進で倉庫内に入っていくことにした。ほぼ全身が倉庫に入った状況で、軽トラックの車体の背後=倉庫の壁面にある組み込み棚の最上部にいる黒い固まりが目に入った。クマも人の姿を見て驚いたのだろう、私が一旦、後ずさりして倉庫から出ると、「どすん・どどどどど・・・」とクマが棚から下りて階段を二階へ駆け上がる音がした。
これで、クマが二階に上がったことがわかった。今度は、梯子で屋根に登り、二階の窓を細く開けてクマの姿をさがした。すでに邪魔なものは除かれて開けた床面にはクマはいなかった。一瞬、ひやりとしたものを感じ、ふと見上げると、目の前の天井の梁(はり)の上に登っているクマが目に入った。「近い。射程距離4mいや3m??」。麻酔銃はガス圧により投薬器を射出する力を調節し、射程距離を変える。圧力が強すぎると、投薬器が動物の体に深く入り過ぎたり、逆に勢いあまって弾きとばされて薬が入らないことがある。強すぎてもいけないし、弱すぎると針が刺さらない。この時は、屋内にいるクマに対する射程距離を5mほどと見込んでいたので少しガスを抜いた方が良かった。クマから視線を外して圧力計をちらりと見、圧力調節弁を押して軽くシュッとガスを抜く。一瞬の作業であるが、最も緊張した瞬間であった。狙いを定め、こちらを見下ろすクマに向かって引き金を引くと、「ヒュン」という軽い射出音とともに投薬器が胸部に命中した。
この時に用いた麻酔薬は筋肉内注射をするのが望ましいものではあった。しかし、至近距離で正面からこちらを見下ろしているクマはすぐにでもアタックしてくる可能性があったので、躊躇せず、どこでも良いから薬液が体内に注入できる部位を狙った。胸部には心臓があり、通常は投薬部位としては用いられない。危険だし、針が肋骨に直角に当たると跳ね返される可能性もあるからだ。しかし、体サイズが大きく、太ったクマならばリスクは少ないだろうと考えた。幸い、今回に限りこれは間違った判断とはならなかった。約5分後、倉庫から「ドシーン」と音がした。麻酔が効いたクマが二階の梁から床に転落したのだ。安全のため、加藤が吹き矢で追加麻酔を撃ち、ようやく安全に個体が確保された。
捕獲された個体は、体重77kgのオス成獣であった。体格は標準的なもので痩せてもなく食べ物に困っているようにも見えなかった。他の地域の例であるが、後の分析によると2006年の捕獲個体は、2004年と比較して年齢の高い個体が多いことが示されている(例えば長野県=信濃毎日新聞3月13日記事)。この個体も、若い個体ではないが、里に出てきてしまった。奥山に食べ物がなく、生活能力の高い成獣と言えども、里山に進出してこなければ十分な栄養を蓄えることができない状況だったのだろうか。
倉庫内で不動化されたクマ
12月~3月 クマの出没は終息に向かう。しかし・・・
12月26日。クリスマスの翌日に、日本海に面する自治体から錯誤捕獲が発生したので放獣作業を行って欲しいという連絡が入った。私は会議の予定があり、気の毒であるが、横山・清野・加藤に対応を任せることにした。実はこの3名、当日は遠方で忘年会の予定があったのだが愚痴一つこぼさずに出動してくれた。(蛇足だが・・・3名とも作業終了後の深夜になって忘年会の会場に出現したらしい。その不屈の飲み魂もたいしたものだ。)
この放獣対応が、我々が2006年度に担当した最後の作業となった。ツキノワグマの保護管理上、多くの課題が浮き彫りとなった年であったが、近畿地域においては、大きな事故もなく、無事に放獣対応の職務を全うできた。それは各自治体、研究機関、猟友会、警察、地元住民など関係者との連携に負うところが大きく、彼らの高い意識と日々の努力の賜物であると思う。
しかし、人身事故にも関わる重要な保護管理上の課題を、不十分な体制のまま、それぞれの組織に属する各個人の努力に依って解決するやり方は長くは続かないだろう。冒頭に紹介した、日本クマネットワーク(JBN)「緊急クマワークショップ」・「緊急クマシンポジウム」でも、保護管理の担い手の育成は重要課題の一つとして取り上げられていた。
兵庫県では2007年4月から野生動物保護管理の研究拠点施設として「森林動物研究センター」が開設し、同時に森林動物専門員制度が本格始動している。保護管理を担う行政組織体としては我が国で有数のもので、その取り組みは全国的にも注目されている。我々としてもその活動に大いに期待するところであるが、同時に、野生動物問題は、他の環境問題と同様、全ての人々が我が身のものとして考えるべきだという思いも強くしている。強固な組織体は独立して存在するものではなく、その強固さを支えるためには、より大きな支援と監視が必要である。2006年度クマ大量出没は我々にその使命の重さを伝えるメッセージを残していったように感じる。
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