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No.149 福島県避難指示解除区域に暮らして

2021年01月発行

福島県避難指示解除区域に暮らして

 

鉄谷 龍之(WMO)

 

私が避難地域鳥獣対策支援員(以下、支援員)になり、福島県双葉郡富岡町で暮らし始めたのは、2019年4月である。東日本大震災および福島第一原子力発電所事故(2011年3月11日)の約8年後、富岡町の一部地域を除く避難指示が解除(2017年4月1日)された約2年後である(図1,2)。そのころには、あまり震災関係のニュースは報道されなくなっていたように思う。支援員になる直前は、仕事の主軸が鳥獣関係から少し離れていたが、「避難12市町村において鳥獣被害対策を支援し、地域コミュニティを再構築する」という業務内容を知り、以前見た宮城県石巻の被災地を思い出し、改めて、自分の知識や経験が復興と鳥獣問題を軽減する役に立てばと思った。現在は、地域への知識の普及、被害防止のための柵設置指導、イノシシの出没状況等調査をおこない、市町村や住民による対策を支援している。

初めて現住居に入ったのは日曜日で、あまりに静かなことに驚いた。アパートは全室埋まっているのに、人の気配がせず、遠くからキジの鳴き声だけが聞こえる。あとで分かったことだが、平日は仕事のためにこちらで生活し、休日には遠方の自宅に戻る人が多いとのことで、平日と休日では町の様子がかなり違う。また、いわき市や郡山市に家族と住み、毎日長距離通勤をしている人も多い。

2020年4月に支援員が増員され事務所ができてから(Field Note No.146参照)、通勤は徒歩10分というありがたい状況だ。大雑把に地形を説明すると、自宅は市街地に突き出した尾根の上にあり、坂を下ると事務所に着く。斜面には樹林帯が残り、ため池もあるため、短い通勤路で様々な動植物を見ることができる(図3)。一番嬉しかったのは、二ホンリスを見られたことだが、通算すると生体を1回、ロードキル個体を2回目撃という喜べない状況だ。このことからも、この連続する樹林帯は動物たちが住宅地へ接近する侵入経路になっており、イノシシのひそみ場でもあると考えられる(図4)。先日も帰宅中にイノシシとにらみ合う状況になってしまった(図5)。

浜通り(福島県東側、太平洋沿い)の農業は水稲が多く、谷戸田や素掘りの水路が残っているためか、水生生物も多く見られる。初めてミズカマキリと思われるものを見たが、防除柵の設置指導中であり、まともに観察もできず、写真も撮れなかったことを今でも悔やんでいる。震災前に使用されていた水田の多くは、農地としては使用されず、保全事業として草刈り等がおこなわれている。それにより草地環境が維持されているためか、ノスリ等の猛禽をよく見ることができるが、絶好のイノシシの餌場、ぬた場にもなってしまっている。ひどい場所では、あぜがほとんどなくなってしまい、そのうち農道すら崩落してしまいそうである(図6)。使用していない農地には、ソーラーパネルが設置されていることも多いが、周囲の柵が人間用のためか、イノシシにめくられ、侵入されてしまっていることもある(図7)。

もうすぐ震災から10年が経つが、避難指示が長期間に渡った区域は、解除されても震災当時のままの建物がいまだに残っており、撤去されてもそのまま草やぶになってしまうことも多い。新しくできる建物は単身者向けのアパートや社員寮が多いが、どうも無秩序に建設されているように感じる。部外者が無責任なことを言ってはいけないと思うが、私の立場からすると、生物多様性を保全する山間部等、加害性のある動物を排除する市街地、その間の緩衝帯といったゾーニングによる、いわゆる「獣害に強い町」をここに作れないかと考えてしまう。

 

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