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No.101クマ類の出没メカニズムに関する国際ワークショップの参加報告

2009年01月発行
クマ類の出没メカニズムに関する国際ワークショップの参加報告
 
湯浅 卓(WMO)
 

 

 昨年11月、紅葉シーズン真っ只中で国内外からの観光客でごった返す京都にて、(独)森林総合研究所の主催により、クマ類の出没メカニズムに関する国際ワークショップが2日間に渡って開催された。このワークショップは、2004年や2006年に日本各地で見られた、クマ類の里(人間の居住地)への大量出没を受けて、出没のメカニズムや非致死的な被害の防止法に関する研究推進のための研究交流・研究成果の報告を目的としていた。また、日本で見られるようなクマ類の里への大量出没は、アメリカクロクマ、アジアのクマ類などでも起きていることから、海外からも研究者が招かれ、出没の事例や現在進められている研究に関しての講演が行われた。初日の研究者向けの講演・報告、2日目の一般市民向けの公開シンポジウムと合わせて19件の講演・報告の中には、いくつもの興味深い話があった。その中で最も印象に残った話は、海外から招待された演者の一人、テキサスA&M大学のダイアナ博士による、ヌエボ・レオン州のモンテレー(Monterrey)にて2008年の春に発生したアメリカクロクマの大量出没に関する講演であった。以下に、講演の内容を簡単に紹介したい。
 
モンテレーは、シエラ・マドレ山脈の東部に位置し、人口400万人を超すメキシコ第三の都市であり、市街地の北部、東部、南部にはクマの良好な生息地が広がっている。また、この地域のクマ個体群は、メキシコ政府や地元の土地所有者による保護活動によって、1970年代以降に絶滅の危機から回復し、現在では北米で最も生息密度の高い個体群となっている。この10年間に、山地でのクマの目撃事例は着実に増加し、また市街地でも時折クマが目撃というか観察できる状態にあった。通常、モンテレーでは、市街地にクマが現れても、住民が過敏に反応することはなく、中には物珍しさからクマに餌を与えたり、プールに頻繁にやってくるクマを放置したりと、ヒトとクマとが穏やかな関係のもとに共存してきた。
ところが、2008年の春に起こった深刻な干ばつによって事態は一転した。そもそも急速な開発によりクマの生息地に人間の居住地が入り込んだ地域で、かつ人馴れしたクマが増加していたことに加え、干ばつによるクマの食べ物や水の枯渇によって、家の裏庭やプール、高速道路など市街地へのクマの出没が相次いだ。
しかしながら、クマの出没騒動による被害は非常に軽微であり、人身被害ゼロ、クマの捕殺1頭、行方不明の家畜5頭に過ぎなかったそうである。そして、干ばつの収束と共にクマは山へ帰って行ったとのことであった。このようにクマの出没による被害が非常に軽微であった一つの要因として、ダイアナ博士は、クマ出没騒動の前年にメキシコにて国際クマ会議が開かれ、行政、研究者、市民が情報を共有し、クマ対策への関心が高まっていたことを挙げた。そして、クマの大量出没時に、それぞれの立場で適切かつ迅速な対応が取れたことが被害軽減につながったとお話された。出没したクマはパトロール隊が山へと追い払っていた。
 
 私にとって、このモンテレーでのクマ出没騒動の顛末は衝撃的であった。そして、ダイアナ博士が、「あわれにも1頭のクマが犠牲になった。」というような言い回しをされたことが非常に印象に残っている。日本では、2004年に全国で約2500頭、2006年には約4400頭のクマを捕殺することでしか、クマの大量出没を解決できなかった。日本とメキシコの双方の事例で、数や頻度など、出没の「規模」にどの程度の違いがあったのかは分からない。よって、単純に2つの事例を比較するわけにはいかない。しかし、あの場にいた多くの人々が双方の現実を対比し、同じような衝撃を受けたのではないだろうか。一瞬、会場にざわめきが走ったように記憶している。そして講演後、会場から「双方で捕殺数がこれほどまでに違う要因はどこにあると考えられるか?」という趣旨の質問がなされた。皆が答えを知りたい質問であったが、残念ながら誰しもが答えを持ち合わせていなかった…
 
 クマ類の大量出没は、様々な要因が複雑に絡み合って生じる現象だと推測される。要因として可能性を持つものは、経年的な生息環境の変化や、年ごとの食物資源の変動、クマ生息密度や社会構造、人間の生活様式の変化など、枚挙にいとまがない。また、それぞれの地域に特有な要因もあるかもしれない。したがって、クマ類大量出没のメカニズムの全貌を明らかにする道程は遠く険しい。今回のワークショップでは、そのことを再認識した。
例えば、堅果の豊凶がクマの出没に影響を及ぼすと言われている。多くの人が、堅果の凶作年は食物が不足するために、クマが食物を求めて里へ出没するはずだと予測する。堅果類の豊凶、クマの出没件数については、具体的に情報を集めることができる。実際に集めている事例も多い。そして、両者に相関関係が見出せたという報告もあった。その一方で、岐阜や福島で駆除されたクマについて、栄養状態を腎周囲脂肪や腹部皮下脂肪で測ったところ、必ずしも栄養状態が悪いとは言えなかったという報告もあった。実に興味深い。
この結果からは、凶作による食物不足→栄養状態の悪化→里への出没という短絡的な仮説が誤っている可能性や、食物不足が腎周囲脂肪や腹部皮下脂肪の蓄積に反映されるまでのタイムラグによって、これらの指標がタイムリーな食物不足の状態を反映していない可能性が示唆される。このように、堅果類の豊凶がなぜクマの出没と結び付つくのかという因果関係でさえ、科学的に示すことは厄介なのである。クマ類大量出没のメカニズムを科学的に解き明かすには、こうした困難が数多く伴う。
だが、今回のワークショップにおける19件の講演・報告にも見られるように、精力的かつ地道な研究活動によって、少しずつではあるが、クマ類の大量出没という現象を考えるための材料が積み重ねられつつある。例えば、国内の事例では、堅果類の凶作年には、豊作年に比べてクマのホームレンジが大きくなることや、ミズナラ堅果の成熟に合わせるようにクマが高標高域へと移動することが報告された。海外では、クマの食物と行動に関する研究分野で少し先を進んでいた。先述のダイアナ博士らの研究グループは、クマの主要な食物資源となる9種類の植物について、現存量と分布を丹念に調査しGISを用いて可消化エネルギー量マップを作成していた。そして、植物のフェノロジーに合わせてクマが食物資源を求めて行動するだろうと予測し、個体を追跡することでその予測を検証することを試みていた。この可消化エネルギー量マップを作成するためには、クマの食物資源の分布のみならず、クマがその植物を採食した場合にどれだけのエネルギーが得られるかを明らかにしていなければならないことに留意して欲しい。日本では、クマの食物資源マップが作成されている地域さえほとんどないだろう。また私は、あらかじめ動きを予測した上で、そのように動くかどうかを検証するという研究デザインのスマートさにも感銘を受けた。
改めて述べるまでもないことだが、食物資源の変化に対しクマがどのような反応を示すのかという事例が集まることで初めて、「クマの食物資源の変化とそれに対するクマの反応」という視点から大量出没という現象を考えることができるようになるのである。ただし、これはクマ類大量出没のメカニズムの一側面に過ぎないだろう。クマ研究の更なる進展を期待したい。
 
クマ類大量出没という事態に直面したとき、我々は、そのメカニズムは明らかでなくとも、そうした現象が時折発生するものとして対策を立ててゆくことは不可能ではないだろう。その道筋は、よく言われているように、出没を誘引しうるものの特定と除去(放棄された果樹や廃棄農産物など)、侵入経路の推定と遮断、情報の共有、普及啓発、捕獲体制の整備(放獣・捕殺)、そして出没の予測(時期や地域など)、などが考えられる。
出没の予測に関しては、地域によってその指標となる現象が異なる可能性が高い。したがって、まずは相関の高い指標を見出すことが課題となろう。東北地方では、ブナの豊凶とクマの出没との間に関連が見られるという。現在、150を越えるモニタリング地点でこの20年に渡り豊凶をモニタリングしながら、豊凶予測からクマの出没を予測する取り組みが行われているようだ。出没を予測する方法が確立されることを期待したい。
だが、たとえクマの出没が予測できるようになったとしても、里でクマを誘引しうるものが放置され、里への侵入経路が依然として存在する状態であれば、やはりクマは里へと出てくるだろう。そして、事前にクマが出そうだと伝えられても、街中や裏庭を闊歩するクマに遭遇したり、物陰やちょっとした茂みにクマが潜んでいるかもしれないと思えば、そこで生活をしている人々は恐怖を感じざるを得ないだろう。そうなれば、恐怖の対象を除去したいと考えるのは当然の帰結であり、2004年や2006年に各地で生じた出来事が再現されることは目に見えている。これでは、大量出没のメカニズムに少しでも近づこうと、あるいは出没を何とか予測できないものかと払ってきた努力や投資してきたエネルギーが無に帰すことになってしまわないだろうか。ワークショップでの講演を聴きながら、私はクマが里へ出にくい環境づくりや、クマと人との衝突をできる限り軽減するための普及啓発、そうしたところを整えていくことの重要性を改めて考えさせられた。


  

クマ類の出没メカニズムに関する国際ワークショップ
研究会:クマ類の出没メカニズム
基調講演
*メキシコの半乾燥地域における食物生産量評価に基づくアメリカクロクマの行動予測について 
Diana Doan-Crider(テキサスA&M大学)
*食物資源がアメリカクロクマの生態,生理,行動へ与える影響について 
Michael R. Vaughan(バージニア工科大学)
招待講演
   *台湾のツキノワグマとナラ・カシ類の関係
     Mei-Hsiu Hwang(台湾屏東科技大學)ら
   *北海道におけるヒグマ出没の要因と予防
     間野 勉(北海道環境科学研究センター)
   *ツキノワグマと人の共存~過去・現在・未来~
     石田 健(東京大学)
一般講演
   *長野県におけるツキノワグマの2006年大量出没の実態
     岸元良輔(長野県環境保全研究所)
   *安定同位体比解析からみた長野県におけるツキノワグマ出没の特徴
     中下留美子(首都大学東京)ら
   *広島県で出没したクマの栄養状態と食性履歴について
     大井 徹(森林総合研究所関西支所)ら
   *ニホンツキノワグマの有害捕獲数と捕獲個体の栄養状態の年変動
     山中淳史(北海道大学)ら
      *飼育下ツキノワグマにおける冬眠前時期の体脂肪蓄積の生理および内分泌メカニズムについて
坪田敏男(北海道大学)
      *人里に出没したクマと出没しなかったクマに遺伝的な差異はあるのか?
         大西尚樹(森林総合研究所関西支所)ら
      *野生ツキノワグマの行動研究I-食物量はクマの土地利用に影響をあたえるのか?-
         山崎晃司(茨城県自然博物館)ら
      *野生ツキノワグマの行動研究II-クマは食物不足の年をどう乗り切るのか?-
         小坂井千夏(東京農工大)ら
      *果実の成熟過程がツキノワグマの行動に与える影響
         小池伸介(東京農工大)ら
      *ミズナラ堅果成熟フェノロジーの標高による違いとツキノワグマによる採食の関係
         中島亜美(東京農工大)ら  
   *ブナ結実の年変動と地域差
     正木 隆(森林総合研究所)
公開シンポジウム
   *クマの生態から探るクマの出没原因
     大井 徹(森林総合研究所関西支所)
   *クマの食料事情から出没を予測する
     正木 隆(森林総合研究所)
   *招待講演 メキシコのクマ出没事情
     Diana Doan-Crider(テキサスA&M大学)
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