WMO.club

No.159 WMOクマ対応のあゆみを訪ねて

2023年07月発行

WMOクマ対応のあゆみを訪ねて

 

久門 美月(WMO)

 

1.はじめに

ある日、私はWMOのクマ対応の技術開発の経緯を調べて総会で発表しないかと声をかけられた。クマ対応とは、主に錯誤捕獲されたクマを麻酔で不動化し、放獣する業務のことである。(ちなみに総会とは、年に一度WMOの本社、関西支社、広島事業所の社員が一堂に会して、野生動物保護管理について話し合う集会のことである。)クマ対応の仕事が好きな私は、興味深いテーマだと思ったため、発表を引き受ける事にした。クマ対応がいつ、どのように業務として始まっていったのかを知るために、前社長の濱﨑さん、前関西支社長の岸本さん、関西副支社長の加藤さんからお話を伺った。以下に、ヒアリングした内容を記す。

 

2.クマ対応はどうやって始まったのか

クマ対応をWMOが実施するようになった経緯を遡ると、1994年に兵庫県のあるクマの業務のために入社して間もない片山敦司さんが、兵庫県に移住したことが間接的だが大きなきっかけとして挙げられる。この業務はクマの放獣業務ではなかったが、片山さんが中心となって業務を進め、兵庫県から信頼を得られたことが、後の放獣業務の事業化につながった。また、片山さんの奮闘により、関西での業務が増えてきたことによって、関西分室(現関西支社)が誕生することになったが、今回は本題からそれるので、この話はこのくらいにとどめておく。

片山さんは業務を行う傍らで、仕事とは別に東中国ツキノワグマ集会という団体の設立に尽力していた。当時、東中国地域個体群は周辺の個体群から分断し、生息数も少なかったと推定されていたため、「日本の絶滅のおそれのある野生生物(環境庁,1991)」で、「保護に留意すべき地域個体群」に指定されていた。東中国ツキノワグマ集会では、東中国地域個体群の保全活動として、普及啓発活動等を実施していた。

片山さんはこれらの活動をしていく中で、錯誤捕獲個体が殺処分されている現状に対して、クマを放獣対応することは出来ないかと考えるようになった。当時、東中国地域個体群は保護するべき対象であったにも関わらず、安全に放獣作業を行える体制が整っていなかったため、兵庫県では錯誤捕獲個体は殺処分されていた。また、兵庫県と京都府を跨ぐ近畿北部地域個体群も、生息数が少ないと言われていたにも関わらず、同様の理由で京都府でも錯誤捕獲個体を放獣することが出来ていなかった。錯誤捕獲個体や有害捕獲個体の放獣対応をする体制を整えた方が良いと考えていた片山さんを始めたとした関西分室メンバーは、兵庫県や京都府でクマの放獣対応を開始した。当初は、有害捕獲個体を奥山放獣することで、被害を減らしながら個体数を増やすことも目的の1つだった。これらの放獣対応は最初から事業として成り立ってはおらず、WMOの強い思いのもと、費用を一部負担して実施されていた。

 

3.クマ対応に必要な捕獲技術

片山さんがクマの放獣対応を行いたいと思った時、なぜすぐに取り組むことが出来たのかというと、大きく2つの理由がある。

1つ目は、クマのハンドリング技術である。WMOは、クマの生体捕獲を行っていた実績が複数あったため、クマを安全に麻酔で眠らせて、保定し、放獣する技術があった。これらの技術は、初代代表の東さんや2代目代表の羽澄さんらによって確立されていたものであった。

2つ目に、シカやサルの生体捕獲で麻酔銃を使って、動物を捕獲する技術を持っていたことが挙げられる。これまでのクマの生体捕獲では、ドラム缶檻に捕まったクマに吹き矢によって麻酔薬を投与していたが、くくりわなに錯誤捕獲されたクマを吹き矢で不動化するのは、数m以内に接近する必要があるため、非常に危険である。安全にクマ対応を行う上で、麻酔銃を用いた捕獲技術は非常に重要であった。

クマのハンドリング技術と麻酔銃による捕獲技術、この2つの技術がWMOに備わっていたことで、錯誤捕獲個体の放獣対応を初期の頃から安全に実施することが出来たと考えられる。

4.クマ対応の事業化へ

数年間の手弁当時代を経た後、2002年に兵庫県からツキノワグマの移動放獣業務を初めて委託された。その後2003年に京都府、2004年に滋賀県と鳥取県、2005年に奈良県と徐々にその事業が近隣府県に拡大していった。

クマ対応を実施していた最初の数年間、最も大変だったのは、放獣作業をすることについて地元住民の理解が得られないことだった。西日本のクマが絶滅の危機に瀕していることを知らない地元住民からすると、被害を出して有害捕獲されたクマや集落周辺で錯誤捕獲されたクマを放獣することを容認することは難しかった。片山さんはクマを何故放すのか、と怒る地元住民に対して、否定することなく話を聞き、「大変なのは分かります。でも放獣しましょう」と根気強く何度も説明していたそうだ。事業化してからの数年間はどこの府県でも地元住民の反発は発生したが、徐々に少なくなっていった。WMOは何度も対話を続け、安全に放獣したという実績を積み重ねていくことで、行政や地元の住民から信頼を得ていった。最近では、放獣作業に対して反対されることは随分少なくなった。

 

5.おわりに

WMOのクマ対応のあゆみとは、片山さんの努力の歴史だと思った。片山さんはクマ対応だけではなく、クマの保護管理に向けて多方面に尽力されていたが、2015年に調査中の事故で逝去された。片山さんがクマ対応の体制を作り始めるまで、クマの錯誤捕獲対応を出来る人材はほとんどいなかったが、現在のWMOには、クマリーダーと呼ばれる現場で指揮をとれる人材が19名いる。また、今までWMOが実施したクマ対応件数は2000件以上にのぼる。そして、片山さんはそのうち500件以上のクマ対応に出動している。これは現在時点で誰も追い越せていない記録である。入社4年目で、50件弱の対応件数の自分が追いつける日はくるのだろうか。

私は、片山さんが亡くなった5年後に入社したので、残念ながら直接お話したことはない。ただ、今回クマ対応のあゆみをたどっていく中で、片山さんの東中国地域個体群や西日本のツキノワグマへの深い愛情と何とかしなければという強い使命感の一端を感じることが出来た。私は、WMOの業務の中でも特にクマ対応に携わり、安全に錯誤捕獲や有害捕獲の現場対応が出来る技術を身に着けたいという思いで入社を決意した。片山さんがクマ対応を始めていなければ、違う人生を歩んでいた可能性がある。もし、いつの日か、片山さんに会うことが出来たら、WMOのクマ対応体制を作ってくれてありがとうございます、とお礼を述べた後、クマ談義をしてみたいなと思っている。片山さんはクマのどんなところが好きなんだろう。

6.あとがき

ヒアリングに協力いただいた諸先輩方にこの場で改めて感謝申し上げます。また、ヒアリングの内容やフィールドノートNo.126に掲載された片山さんの今までの経歴などを参考にして、今回の記事をまとめましたが、当時のことに詳しい方からすると一部不正確な箇所や不明瞭な書き方をしている箇所もあるかもしれません。何かもし間違えがありましたら、当時の話をお聞かせいただければ幸いです。

 

参考文献

濱﨑伸一郎.2016年 年頭にあたり.FIELD NOTE.2016, no.126,p.1-3 .

 

 

No.160 一覧に戻る No.159
ページの先頭へ