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No.99 青海・チベット高原でのチルーの生態調査参加雑記

2008年07月発行
青海・チベット高原でのチルーの生態調査参加雑記

姜 兆文(WMO)


 2007年8月17日から8月28日まで、念願の中国青海・チベット高原でチルー(Chiru、Pontholops hodgsoni)の調査に参加した。チルーは中国特有の偶蹄目ウシ科の動物で国家一級保護動物に指定され、ワシントン条約でも絶滅危惧種として保護されている。また、北京オリンピックのマスコットのモチーフにもなっている。標高4000m級の高原地域で生息するため、詳しい生態や生息数はわからない。オスの角は真直ぐ空に指す、長さは70cmに達する。1990年以降シャトゥーシュの元となるチルーの軽く、柔らかく、弾力性があり保温性に富んでいる毛を求めるため、密猟が盛んになりその頭数は激減した。20世紀初めには約100万頭いたといわれるが、2001年現在の推定個体数は75,000頭以下である。
2002年、東大の研究グループの一員として、Argosシステム(動物に装着した発信機から衛星に発信し、衛星がその信号を地上ステーションに伝送し、その信号に基づいて計算された動物の位置をインターネットで受けとる仕組)を用いたモンゴル乾燥草原に生息するモウコガゼルの移動経路と生息環境調査に参加した。実は、2003年青海・チベット鉄道(2006年3月開通)建設中の情報を知り、すぐ、Argos技術を駆使して、鉄道の建設と運営によるチルーの行動に対する影響をモニタリング調査するというアイデアを東大の仲間に勧めたが、皆は余裕が無く申請しなかった。その後、自分は中国政府関係の組織に要望を出したが、これも認められなかった。しかし2006年、哺乳類学会開催期間中、酪農学園大学の大泰司先生と星野先生から、星野先生がリーダーとして研究グループを作り、日本学振へ科研費を申請し、「チベット高原野生動物の生態学に関する研究―特にチルーの移動経路と生息環境のモニタリング」というテーマで青海・チベット高原での調査を展開する予定があり、私にArgos技術とチルーの捕獲を担当してほしいと要請があった。私はその要請を嬉しく受け入れた。2007年3月申請成功の朗報を受け、分担のとおり私がArgos首輪の技術指数を決めてアメリカのTelonics社に発注し、中国側の責任者にチルー捕獲に関する準備をお願いし、8月に本格的な野外調査を実施した。

8月17日 多難な出発日
成田空港から出発、上海国際空港で乗り換え、中国側の研究協力機関の陜西省動物研究所がある西安(シーアン)を目指した。私は酪農学園大の金子先生、浅川先生、吉田さん、北大の武田先生と成田空港で合流。早速中国東方航空会社カウンターで搭乗手続きをした。荷物をまとめて量ると、なんと80kgオーバー。一人10kgのカウンターサービスで減っても30kg以上オーバー。オーバー料金が9万円以上で、とても支払う気持ちがなかった。しばらくの間係員に、私たちは研究者でありたくさんの研究道具を持つのは必要で、殆どの荷物は日本に持って戻らないなどを説明したが、まったく無意味。5人は手荷物が増えるように、カウンターの前にあるかばんの物をばらばらにし皆で持つようにした。しかし、係員から手荷物は5kgまでなので、重量オーバーで飛行機に乗れないと言われた。ついに、中国航空会社の責任者を呼び出すことになった。私が中国語でお願いし、また、皆のかわいそうな様子を見て、係員に料金を支払わず手続きを進めるように指示が出た。30分以上かかって、やっと一安心。
上海で西安に向かう飛行機に乗り換えた時、10台のArgos首輪に付けた塊状磁石を発見され、機内に携帯することを禁止された。相談したところ二つ選択肢が提起された。一つは、磁石を付けた首輪を空港が扱って郵送する。これは、調査に間に合わなくなる。もう一つは、磁石を係員が郵送し首輪のみ機内に持ち込む。これは調査に間に合うが、磁石を外すと10台の発信機が一斉に発信して、その信号が飛行機の電子システムを撹乱し、飛行機の安全上大変な問題になる。係員はこの危険さを全く知らなかったようだ。限られた時間で如何すれば良いかと迷うところ、落ち着いて、発信機の技術指標を思い出した。信号は4日間の内、1日の14:00~20:00時のみ発信する。これから搭乗予定の飛行機は20時以降の離陸なので、信号を出さない時間帯を判定できた。しかし、西安に着陸するまでその危険さを考えてドキドキした。

8月18日 会合と準備
動物研究所で共同研究に関する会議を開き、調査員は大型哺乳動物班、小型動物班、人文班に分かれて研究打ち合わせなどをして、忙しい1日となった。地元の研究者の話では、チルーは8月下旬には移動を終えるという。そのことを聞いて、チルーの捕獲が成功するかどうか不安になった。

8月19~20日 高原に向かう飛行機で移動
19日、13人は標高1000mの西安から2200mの西寧(シーニン)へ、20日、西寧から2800mの格尓木(ゴルムド)へ。格尓木空港で先発部隊の調査員11人と合流。午後から調査地である五道梁(ウーダオリァン)へ移動する予定だったが、劉先生は捕獲許可を待つため西寧に残り、調査許可に関する情報が無くて格尓木で一日滞在することになった。捕獲作業の時間は一日減って不安が増えたが、標高4000m以上の地域にすぐ行かず、格尓木での滞在が一日長くなったのは、調査員の身体が高原環境に適応するためには良かった。
これから、調査員は3班に分かれて行動。人文班は武田先生(猪八戒の研究が有名)と中国側の2人で、電車でラーサへ向かった。大型班は日本側から3名、小型班は日本側2名(京大の本川さん、淺川先生)を含めて、それぞれ10人になる。この日、またとても豊かな夕食を食べた。「これから食、宿の条件がさらに悪くなるので、今日は最後のご馳走になる」と中国側は食事前の挨拶をした。西安からこの言葉はよく言われたが、美味しい料理を食べ続けた。また、本川さんは、昼食の時間が日本と比べて相対的に長く、不思議だと言った。大昔からの中国の熟語「民以食為天」(人間は食べることが一番大切)を思い出した。

8月21日 車で調査地へ移動
朝食は肉まんなどを食べた。食べ始め、肉まんが十分に蒸されていないと思い、再び蒸したが味が変わらなかった。やはり標高2800mの地域では、高圧鍋などで料理しないと80~90℃でも沸騰するのだろう。これからもお湯と食べ物を十分に加熱できないと思われた。
荷物積み込み後、10:30に駅で劉先生と合流、大、小型班が車に分乗し五道梁へ出発した。3時間半くらいで標高3800mである西大灘(ニシオオナダ)に到着。遠くで雪化粧の崑崙山(クンルンサン)が見えて、皆とても興奮して記念写真を撮った(写真1)。身体を適応させるため長めに休息し、昼食もここにした。店の中に日本でも大人気な麻雀組があって、淺川先生はすぐ入り込んで参戦した(写真2)。ルールは日本とちょっと違うらしいとのこと。

写真1 西大灘で見えた雪化粧の崑崙山 写真2 浅川先生の麻雀技

今まで皆の身体は大丈夫だったが、さすがに3800mの高さで何人かはちょっと不安を感じていた。早速、身体の状況をパルスオキシメーターでチェックして見ると、私の動脈血酸素飽和濃度(SpO2)が95%から84%に低下(90以下は危ないと言う)。心拍数は68、まだ正常。2時間後、大型班は再び出発(小型班は西大灘で調査開始)。標高4767mの崑崙山口に到着、SPO2が75~84%に下がり、心拍数は86に。危ない!ここは今回の調査ルートの最高点になるので、皆が記念写真を撮った。風が強かったが、晴れ。しかし写真を撮るころ突然寒くなり、雨が降り始めた。日本から出発する前に、青海・チベット高原には一日に四季があると言われたが、やはり天気の変化が速いかなぁと思った。再び出発、青海ココシリ国家級自然保護区に入った。4:45、道路の右側にメスチルー2頭、5頭、オスチルーも1頭が100m以内に出現し、皆大興奮。これはチルーが見える初のチャンス、または最後のチャンスかもしれないと思って、どんどん写真を撮った(写真3)。その後チルーを観察、感動し、高原環境での身体の辛さが全くなくなった。これは本当に自然の魅力だと思った。高原環境に対する身体の反応が一番辛そうな金子先生は、「この近距離でチルーを見ること、良い写真を撮ることできて、今、日本に帰ってもよい」と言った。その後、道路の両側で大量のチルー、チベットガゼル、オオカミ、チベットノロバなどを多数発見。さぁー、念願のチルーにあったこと、このあたりで何日か仕事ができること、大変だけど最高の贅沢に思えた。
移動途中ココシリ国家級自然保護区不凍泉(プートンチュワン)、索南達杰(スゥーナンダージェ)、五道梁自然保護ステーションなどを見学した。索南達杰自然保護ステーション(4475m)に到着した時、金子先生と吉田さんはかなり辛そうだった(写真4)。

写真3 最初に見えたチルーの群れ 写真4 高山反応が辛そうな吉田さん

19:30、五北大橋(ウーペオオハシ)(写真5)に到着し、大橋の下に多数のチルーが通過した痕跡(足跡と糞)を確認した(写真6)。鉄道の下には動物の移動を配慮して特別なトンネル、自然の地形を利用して動物が通過し易い五北大橋のような高架橋など動物通路(写真7)が33ヶ所あり、全長60kmになると言う。東西方向に走る五北大橋から、南方向に向けて緩やかな斜面で、中央部に低く、小溪が延々と流れてくる。400mまで上ると傾斜はさらに緩やかになって、この位置からちょっと先にネットを立てれば、遠くからくるチルーはネットを発見しにくいと思った。また、小さい凸凹のある場所が点在していて、捕獲する時の調査隊員の良い隠れ場所になる。上述の地形をネット捕獲の良い候補地だと思った。一時間後、とても美しい夕焼けが出現。皆、地平線から見える夕焼けにとても感動して一生懸命写真を撮った。中国語には、「朝霞不出門、晩霞行千里(朝焼けには雨天気、夕焼けには晴れ天気になる)」という熟語があるので、明日は必ずよい天気になり、捕獲成功の可能性が高いだろうと思った。

写真5 列車が通過する五北大橋  写真6 五北大橋下を通過するチルーの足跡

写真7 鉄道下の動物通路の一種

20:10、五道梁交通旅館に到着。普通に歩いても心拍数が100を超え、トドンートドンーという心臓振動で、自分で負担を明確に感じた。やはり速く歩くのは禁物。金子先生と吉田さんは特に反応が強く、ゆっくり歩いても大変辛かったようだ。速やかに酸素を吸っても根本的に変わらない。荷物を片付けた後、外に食事に行ったが二人はやめた。缶詰め八宝粥、果物、葡萄糖、ミネラル水などをベッドの傍に用意したが、結局、葡萄糖と水しか飲めなかった(調査に参加できず、23日格尓木へ戻った。僅か三日間の辛い高原生活、5kg以上痩せた。命をかけたがダイエット効果が明確で良かったと冗談にもなった)。
食事前に捕獲方法と捕獲時の注意事項について全員に説明したが、私以外、誰も大型哺乳類生体捕獲の経験がなく、また集団的な行動なので現場でやりながら捕獲方法を身につけて、同調な行動を少しづつ取り込むしかないと思った。
食事の後、宿に残った2人の状況を確認し、明日の捕獲準備のため個別的な打ち合わせして自分の部屋に戻った。電圧不足かもしれないがライトがとても暗く、また疲れで何か仕事をする雰囲気でもなく、11時前に寝る準備をした。同室の崔先生と色々なことを話しながら、知らないうちに寝ていた。うつらうつらしながら、頭が痛くて目が覚めたが2:30にしかなっていなかった。初めて標高4600m地域で寝ることによる反応だと思ったので、しばらく深呼吸し、ゆっくり歩いて室外トイレに行った。部屋に戻ると、崔先生も頭が痛くて目が覚めていた。2人でまた話しながら再び寝た。やはり、寝ると呼吸が浅くなって大脳への血液供給が足りなくなり、頭が痛くなると思われた。寝る時、頭が痛くて2~3時間おきに繰り返し起きるのは、22日にも続き、23日の夜は普通に寝ることができた。

8月22日 捕獲一日目
大型班の調査員は8人になった。12時まで捕獲可能な地点数ヶ所を検討し、総合的に判断した結果、五北大橋を捕獲地点として決定。捕獲に適した地形を皆に説明し、大橋から500m離れた場所でネット設置することを決定。小溪を中心に両岸へ延べ、線網ネット3枚、全長約90m、動物が来るだろう大橋方向に向かう弓形で設置した(写真8)。その後、チルーの行動情報を監視する一人、ネット両側に隠れる人、車を停める位置などを決め、チルーが橋下通過からネットにぶつかるまでの各自の行動と対応について説明し、全員が指定位置で待機。チルーの情報を無線で報告され、私が総合的に判断して全員の行動を指揮した。中国側の意見により棚から牡丹餅が落ちてくるのを待つ、完全待機方式で捕獲開始した。14:40、親子2頭、18時、16頭がネット前まで来たが、ネットの両端から逃げ捕獲は成功しなかった。捕獲失敗の原因を議論し、人と車の追いかけるタイミングと方向などの問題を共通認識して、経験を重ることが、これからの捕獲に役立つであろう。その後、風が強くて捕獲を続けるのが困難となり、撤退。捕獲なし。

写真8 設置した捕獲用ネット

8月23日 捕獲二日目、小型班と合流
昨日のチルーの逃げる経路を考慮して、ネット設置調整、合計4枚、全長120mにした。調査員の配置を調整し、捕獲再開。12:40になっても、チルーの姿が現れず、完全待機方式から半能動出撃方式(車一台が鉄道反対側にいるチルーの行動を合わせて、橋下へ誘駆する)へ転換、捕獲再開した。14:50、20頭位の群をネット前に駆け込ませることに成功、しかしネット左側に逃げた。待機する隊員の人数不足も要因のひとつと考えられた。小型班と合流後、調査員2人は大型班の捕獲に参加し、10人で捕獲を再開した。18:20、鉄道橋下通過した9頭の群はネットへ向かう途中3頭、6頭の群に別れ、近くの調査員は全ての個体がネット前に来るように努力したが、結局捕獲は失敗。大きい群れが分散する時は可能性がある個体だけを目標とし、他の個体を無視するような方針を確認後、捕獲再開。19時過ぎても目標無し、雹も降り、撤退した。

8月24日 捕獲三日目、捕獲成功
まず、道路両側のチルー状況を探査した。11:10、捕獲予定地点に戻ると、12頭のチルーが橋を通過する態勢になったが、調査員が予定地点へ移動途中、車一台がエンコした。30分後に救出できて、捕獲を再開。13:40、橋の反対側60頭の群の内27頭が鉄道橋下通過、ネットから150m位まで近づいたところで車の押し込みを開始。ネット左側の2人がちょっとはやく起き上がったので、チルーが移動方向を変更、逃走。隠れていた隊員が早く起き上がったことが失敗要因と確認し、落ち着いて起き上がるタイミングを再確認し、捕獲再開。13:50、突然雷雨となったが、捕獲を続けた。その後二度、鉄道業者による橋下作業のため、橋下にいたチルーが逃走したのでとても残念だった。17:30、再び目標が現れ、終に鉄道橋下を通過、ネットへ少しづつ移動。隠れている全員が落ち着く。ネット前50m位のところで、私が指示を出して、車をはじめ、ネットから離れた順に隠れていた調査員を次々と起こし、大きな声を出しながらネットまで駆け込むことができて、2頭(成獣メス1頭、亜成獣メス1頭)を捕獲できた!!体重など外部計測し首輪を装着して、一時間後、無事に放獣した(写真9)。遠く逃げた元気な姿を見て、成功の実感がわきあがった。皆大喜びで記念写真を撮った(写真10)。そして、ネットを撤収し宿に戻って、小型班の皆からのお祝いを受け、さらに夕食でお祝い会を開いた。
真夜中、静かなのに目が覚めた。起きて外を見ると、8月なのに雪が降っていた。車と地面には雪が降り積もっていて、辺り一面真っ白い雪景色だった。あー、本当に一日に四季があると実感した。

写真9 発信機をメスチルーに装着  写真10 放獣後の喜びの記念撮影

8月25~27日 帰途への移動と会議
25日車で格尓木にむけて大、小型班が同時出発。雪化粧の崑崙山口(写真11)、地震記念碑などを見学、午後3時格尓木に到着。26日、飛行機で格尓木から西寧へ、そして西寧から西安へ、22時無事に西安に到着。27日の午前、研究所で総括会議、午後、終に自由な時間ができて、兵馬俑(ヘイバヨウ)博物館見学など組分けでそれぞれ活動した。私は西安に住む兄の家を訪ねた。

8月28日 帰国
金子、吉田、浅川の各氏と私は帰国の途についた。西安国際空港での体験は二つ。一つは、日本東京と書かれたカウンター前の列に並んだが、着いたら受付しないと言われ、別のカウンターへ行かなければならなかった。理由を聞いても説明してくれず、案内の不十分さを露呈。私は中国人として恥ずかしく感じた。もう一つはまた荷物オーバー。今回は調査道具ではなくお土産のせい。さすがに皆、荷物オーバーの分に対して一円でも支払いたくなく、中国人の従業員も仕方がない様子だった。荷物の重量を軽減するため、国際空港のホールでもこの姿が現れ(写真12)、面白かった。

写真11 8月なのに雪化粧の崑崙山 写真12 空港のホールでの手荷物が増えた姿

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