No.5 座ったシカ
岸本真弓
本ホームページのWMO clubのコーナーにあるように先月Field Note75号が発行された。この号から、原稿をお寄せいただいた方への心ばかしのお礼は図書カードとなった。これまではテレホンカードだったのだが、これだけ携帯電話が普及したご時世、テレホンカードではな・・・と考えてのことである。その栄えあるWMO図書カード第1号に登場したのが「座ったシカ」である。
昨年11月6日、兵庫県のニホンジカ糞塊密度調査の時だった。兵庫県民ならよく知る大屋町明延鉱山の近く、メッシュ番号5235-7432のことである。初めてこのシカ調査に参加した馬越君が、地図読みトレーニングのため私の前を歩いていた。気がつくと、馬越君が固まった姿勢で斜めに私を振り返り、低く抑えた声で言った。
「シカがいる」
前方に目をやると、若いオスジカが立っていた。こちらを見ている。そうっと馬越君の横まで近づく。シカは私の動きを見ているが、逆に興味深げに見ているかのように動かない。私が背負ったザックを下ろし、中からカメラを出しても逃げない。それどころか、落ち葉をかき餌を探し始める。夢中でシャッターをきった。でも、残念ながら私が持っていたのはとっても簡単なインスタントカメラ。遠いし、暗い。ああ、なぜこういう時に限ってデジカメも一眼レフも持っていないのか・・・
シカは半径5m内をゆっくり歩いたあと、尾根を歩いてきた私たちの真っ正面に立った。何する気? シカは前足で地面をゆっくり数回かいた。こっちに突進? いやそんな気合いは感じない。私と馬越君が息を止め見つめていると、なんとシカは前足を折り畳み、腰を下ろしそこに座ってしまった。私たちとの距離わずか10mほど。そしてじっと私たちを見つめていた。じっと、じーっと・・・
私はしゃがみ、にじり寄りながら写真を撮った。でもシカは動かなかった。ただ私を見ていた。あまりに動じない姿に私はだんだん混乱してきた。見つめられてドギマギしてきた。シカは圧倒的優位に立ち、私は降参した。
あのシカは、いったい何を見つめていたのか。私たちを無害な生き物と見透かしたのか。この秋、またあの場所を訪れるだろう。彼にまた会うことは可能だろうか。
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